当たり前だと思っていること・・・①運動会と立志式
保育園・幼稚園から小中義務教育、そして高校まで行われている『運動会(体育祭)』を、私達日本人は当たり前の行事だと捉えています。
親が参加するのは小学校もしくは中学校までかもしれませんが。。。
私達にとっては文化行事として当たり前な感覚なわけだから、全世界そうだろうと。。。
ところが、すっとこどっこい・・・『運動会』って、かなり日本固有(ごくわずかの近隣国を含む)な行事のようです。
別に、運動会が悪いなどと言うつもりはありません。
生徒のみんなが力を合わせて切磋琢磨するという意味では、素晴らしく感動的な行事でもあります。
じゃあ何故『運動会』が世界標準ではないのか???
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日本人は・・・そもそも島国民族。
世界大戦時に植え付けられた「国民一丸となって」という精神論に今でも左右されているのかもしれません。
そういう中で、『運動会』という行事が当たりまえの象徴として生き残っているのだと思います。
まあ、事のはじまりは時代柄仕方ないとして・・・
昭和の時代までは、それで良かったかもしれません。
特に、小学校の運動会は・・・
お母ちゃんは前日夜からせっせとお弁当(ある意味、子供のお誕生日よりもご馳走だし、量も半端ない)の準備をし、お父ちゃんは当日朝早く運動場に場所取りに行って、おじいちゃん・おばあちゃん、場合によっては近所の親戚まで集まって、昼間の宴会さながらに楽しめる行事。子供達の応援しながら、昼間っから酒宴の場と化すこともあったでしょう。
が、核家族化が進んで、運動会に参加出来ない両親も増え、お隣さん・ご近所さんのサポートすらない場合、子供は一人ぼっちで運動会を迎えるケースも増え、子供達に業者からのお弁当を提供する運動会すらあるかもしれません。
あえて付け加えるなら、学校教員は自分の子供の運動会が同日程になることが多いわけで、職務優先で、我が子の運動会に参加出来ないことも多いでしょう。。。
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さてそういったことも踏まえて・・・
全世界の多くは「運動会」を必要としてこなかったわけですから、そこの違いが何なのかです。
個人に対する考え方の、決定的な違いだと思います。
もっと言うなら、個性を大切にしているかどうかの違いかなと。。。
様々な子供に対して「頑張れ~」という言葉を投げかけることの意味も。。。
頑張り方や目標は、人によって違います。。。
根性論では出来ないことだって沢山あります。
だから・・・スポーツにしても文化的行為にしても、
本当は個人が好きなこと・得意なことをすればいいのに、日本ってそれでは済ませません!!的な教育が根強い。
体を動かすことが嫌いな子供でも、運動会参加は絶対!
歌が苦手な子供でも、クラス対抗合唱への参加は絶対!
そもそも、団体行動がイヤでたまらない子に、じっと我慢して上手く場をこなせってことに、無理があります。
嫌なことやらせてる時間がどんだけ無駄かです。。。
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日々の教育上のカリキュラムで、子供の得手不得手を多少穴埋めが出来るのなら・・・
なんで、その成果(不向きなことも含めて)を行事として、平均的な成果としてわざわざお披露目しなくてはならんのか。。。
私、実は・・・冒頭に書いたことと違う趣旨になるかもしれませんが、
『運動会』なんて廃止してもなんら構わんと思います(^_^;)。
もっと有意義な行事を考えればよろしいのでは??。
学校行事でやっていることのほとんどは、現代において意味が薄れているものが多いはず。
戦中戦後の仕方なかった時代を引きずった、没個性なものばかり。
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さて、運動会以外にも、親として個人的に???な学校行事がありました。
私の娘が中学2年生の時(7年前?)に体験した『立志式』なる学校行事。
※立志式に熱心に取り組んでいる県は、宮崎県をはじめとする僅かですので、聞いたこともない方がほとんどだと思われます
※立志式とは・・・元服にちなんで(数え年の)一五歳を祝う行事。参加者は、将来の決意や目標などを明らかにすることで、おとなになる自覚を深める。【大辞林 第三版の解説より】
漢字一文字を掲げて、その文字に込めた将来への想い・夢をでっかい声で発表する(しなければならない)ような、理解不能な式でした。
しかも、参観日同様、親の参加(招集??)を促されました。とても大切な式だからと。。。
なので行ってみたのですが・・・私、体育館のパイプ椅子で腕組んでふんぞり返って、なんじゃこりゃ??的態度で眺めていました。拍手とかする気なんてさらさらなく。。
中2で無理やり将来への想いを持たなくちゃあかんわけで。。。
個性を全く無視してるからこそ、教育の現場において強制的に行われる行事。
どうだっていいじゃん??
中学2年生が、なんで大きな声で志しを立てなきゃいかんの???
一番多感な頃なのに、なんで強制的なお節介するんだろうか????
悩んでる最中で、答えなんて出せないお年頃なのに。。。
昔と現代を同じにするなって!!
誰がいつ、こんな行事しましょうなんて言い出して、教育委員会とかがOK出したんだろうか???
宮崎で生まれ育った私ですが、私の中学2年の時にはなかったのですよね。。。
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過去の慣例を持ち出すことも時には大切ですが・・・
現代がどういうご時世なのかを見極めなきゃいけません。
当たり前なんてないわけだから。。。
すべての子供たちに適用出来ないような、上から目線的な大人が決めた行事は、大人のうんちくで維持したり、ましてや時代錯誤的な感覚で蘇らせることなんてあってはならないのです。
生徒が全員それをやるという前提において強制的に行われている学校行事は、アプローチとして完全にアウトだと思います。
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当たり前が当たり前ではないのかにどれだけ気づく事が大切か・・・に、気づくべきご時世になっているのだと思います。
子供の養育はまず親。でも、親が養育どころか、安全基地であるべき家庭を提供出来ないことすらあるのが現状。
一方、私は現在57歳。子育てに関わってきた過去を振り返りつつ、頭の固いジジイと思われないよう、思考を柔らかく持つことが大事であるし、今という時代に生きている人々の考え方や感性を理解したいと思っています。