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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

第8回十字軍7-弟シャルル、シチリア征服

2018.09.05 00:53

イギリスだけではない、ルイ9世には南に懸案事項があった、シチリア問題である。シチリア王国は、フリードリヒ2世亡きあと、庶子のマンフレディが継いでいた。当然教皇との折り合いは悪い。ルイは、当初干渉せず、という姿勢だった。しかしウルバヌス4世がしきりにヘルプを言ってくる。

教皇は王弟シャルル・ダンジューに手をまわしてけしかけた。ルイはマンフレディが庶子で、正当な後継者ではないのも気に触っていた。そこで1263年、ルイは「くれぐれも無用の戦をせぬように」と言って弟に許可を与え、ついにマンフレディへの十字軍が、教皇によって宣言された。1264年、ルイの顧問官が教皇クレメンス4世となり、ヴァチカンはますますフランス寄りになってゆく。

権力欲に囚われた弟、シャルルは、1265年にカルロ1世としてシチリア王に。66年ベネヴァンの戦いで勝利し、マンフレディを戦死させた。68年にはフリードリヒ2世の最後の一族コンラディンを破り、フリードリヒ2世のホーエンシュタウフェン家は断絶する、恐ろしや。何回も領主を変えたシチリアは、今度はフランス領となり、フランスの移民がやってくる。そしてやがてそれは悲劇を生むこととなる。

シャルルの目標はビザンティンの征服とラテン帝国の再建、もっといえば地中海沿岸の東ローマ帝国の再興であった。彼は、南ギリシャとトルコの一部のアカイア王国の娘と次男を結婚させ、追放されたラテン帝国皇帝を保護して、自ら皇帝を後継。ハンガリーとも結んだ。そして兄ルイはついに再度の十字軍を決心する。

下はペッツォーリ作「マンフレディの死」