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凸と凹マガジン

凸と凹「登録先の志」No.26:田中由布子さん(認定NPO法人光楽園 おひさまいっぱい光楽園 副園長)

2023.10.05 23:50


心を育てることが大事なんだ


認定NPO法人光楽園の認定こども園おひさまいっぱい光楽園で副園長をしています。現場に日々入って、午前中はリズムあそびで側転して、川に飛び込み、昼からはプールに入り、トイレと部屋を掃除して帰宅する毎日です。私には5人の子どもがいて、もうすぐ3人目の孫が生まれる予定です。21歳から子育てが始まって、尾籠夫妻と出会い、お二人が託児所を立ち上げるところからずっと一緒に活動してきました。体を育てることが大切だと思って子育てをしてきましたが、5人目の子が生まれた時に心を育てることが大事なんだと感じるようになりました。(5人目のこどもはおひさまいっぱい光楽園の園児となり、卒園しています。)

それは、ありがたいと思うお産をしたことがきっかけでした。こどもたちが小学校、中学校、高校と成長する中で、いろいろな壁にぶつかった時、体を鍛えて“スポ根”でなんとかやってきましたが、心がついていっていないと、がんばりが必要な時にがんばれないし、心を温めてから次のステップに進んでいった方が幸せだなと感じました。5人目の子を自宅で出産した際、いろいろな人に支えられて温かいお産ができ、この子を社会に返していかないといけないなと感じました。

5人目の子はおひさまいっぱい光楽園を卒園した後、「自由な子ども」という教育目標を掲げて体験学習中心の教育を実施する「きのくに学園北九州子どもの村小学校」に通っています。


弱い人や困っている人はみんなで助け合っていくもの


私の周りのママ友たちの多くは、子育てがひと段落している方たちです。以前、寄付の呼びかけをした際に協力してくれた人に応援してくれた理由を尋ねてみました。「自分の子育てが必死だった時は、周りの人を手伝おうとは思えなかったけど、今ニュースなどで子どもにまつわるいろいろな問題を見たりして、やっぱり自分もあの時助けてほしかった。今の自分ならやれると思う」という声をたくさん聴きました。

私自身はそういった悲しく、つらいニュースは感情移入しすぎてしまい、恐くて見ることができないのですが、弱い人や困っている人はみんなで助け合っていくものだと思っています。

光楽園はこどもたちとの距離が近いことが特徴です。その分、保護者との距離も近いと思います。近い距離でかかわっているからこそ、寄付の呼びかけをした際も私たちの熱い思いが伝わって、みなさんがどんどん協力してくれたと感じています。一緒に共有できるものがすごく多い方たちが集まっています。


いつでもみんながホームとして帰ってこられる場所に


今の親御さんは孤独だなと思うことが増えたと感じています。「助けて」と言えない。私が子育て真っ最中だった時も困ったことはいろいろありましたが、どこかに助けてくれる人がいました。今は頼れる人が近くにいなくて、命をかけて臨む出産も含め、心細い思いをしている人が多いなと思います。

私が常に思うのは「感謝の気持ち」です。光楽園があること、光楽園で子どもたちが笑顔で過ごしていることが、何よりの喜びです。私たちは公立の保育園の先生たちと違って異動がないので、10年20年経っても志が同じ仲間がずっと、その場所に残ってこどもたちを迎えることができます。悩んだり、困った時に、お父さんもお母さんもこどもたちも、いつでもみんながホームとして帰ってこられる場所に光楽園をしていきたいです。

まだこどもが少なかった頃は、夕方お迎えがくるまでの時間、みんなでデッキに座って夕焼けを眺めながら、「すぐまた明日の朝になるねー」なんて言いながらのんびり過ごしていました。そんなみんなでゆったりできる場所をつくっていくために、「地域まるごとファミリープロジェクト」をぜひ応援してください。


取材者の感想


「そのパワフルさに圧倒されてしまった!」というのが田中ちゃんのお話を聴いた第一印象です。インタビューの際、うれしそうに見せてくださったのが、田中ちゃんのことが曲になった『あなたは美しい』というCDです。おひさまいっぱい光楽園の開園10周年記念イベントでミュージシャンの方に田中ちゃんが熱い思いを語ったら、それが曲になったそうです。インタビューでお話を聴いていたら、曲ができてしまうのも納得でした。

私にとってうれしかったのは、先日私の友人に「こんな方がいてね」と田中ちゃんのことを話したら「すごくいい話が聴けてよかった」と言ってもらえたことです。こうして共感の輪は広がっていくのだなと実感しました。


田中由布子さん:プロフィール


認定NPO法人光楽園 おひさまいっぱい光楽園 副園長

1997年4月、家族で北九州市戸畑区の椎木谷団地に引っ越し、1階に住んでいた尾籠夫妻と出会う。この団地の同じ棟に住んでいた住人は、尾籠夫妻も含めてみんな同じくらいの子どもがいて、お互い頻繁に行き来しながら「団地みんなで一緒に子育てする」関係(コミュニティ)ができており、これが今の光楽園の原点となる。尾籠家が引っ越した後も連絡を取り合っていたが、2005年4月に「みんなの託児所光楽園」ができてからは「おせっかいおばさん(おねえさん)」としていろいろ手伝うようになり、そのまま職員として従事することとなった。13年、次男を自宅で出産。次男をおひさまいっぱい光楽園に入園させたことからますますその保育・活動にはまり込む。18年、おひさまいっぱい光楽園が認定こども園になってからは副園長となり、今に至る。




認定NPO法人光楽園は、凸と凹「マンスリーサポートプログラム」の登録先です。