第8回十字軍8-ルイ王遂に十字軍に参戦
2018.09.06 00:20
「聖ルイのめでたき御世」人々はこの時代をこう呼んだ。彼のおかげでフランスは平和となり、当たり前のことだが、流通が活発になり、経済は発展した。各地で聖堂が建てられ、ルイは病院まで建てた。人口1万人の小さな町にも、2つの病院と1つの癩病院があった。王家の収入の1割は貧民の施しに使われ、飢饉の際には貧農からの年貢は返還された。ルイはいつも施しが足りないと悩んでいたという。
中世は皮肉をこめて「大聖堂がどんどん建つ暗黒時代」と呼ばれる。中世の暗いイメージは近代主義者が、近代ヨーロッパの貧しい農民の姿を見て、前の時代はもっと悲惨だったろう、と考えたらしい。ところが、研究が進むと、近代になるにつれて農民は貧しくなってきたとわかったのだ。
1267年5月、教皇の呼びかけに応える形で、第八回十字軍への参加を表明した。ドミニコ会の力により、イギリス王、ドイツ王も参戦を表明、アラゴン王も加わり、西欧の力を集めた遠征が期待された。1268年、バイバルスがアンティオキアを陥落させ、十字軍国家の危機が明確となった。
ルイらの危惧は、イスラムやモンゴルが、聖地を蹂躙した後、以前のように地中海から西欧を襲うということであった。しかし民衆は平和に慣れ、「十字軍は無意味」という声があがっていた。良くも悪くも昔のような宗教熱はなかった。ルイはこのとき54歳、もともと身体が強いとはいえず、長年の国への奉仕が身体を蝕み、病気がちとなっていた。彼は最後の仕事として十字軍に行く。
下は王の名をとった町アメリカのセントルイスのルイ像と夕焼け