第8回十字軍10-ルイ王チュニジアに死す
2018.09.08 00:39
ルイ9世は1270年2月にノートルダムでミサを行い、サンドニの旗を持ち、3月にヴァンセンヌ城で王妃に別れを告げた、多分死を覚悟していたのだろう。7月にサルディニア島に全軍が集結し、チュニス行きが告げられた。しかしルイの体力は弱り、疫病で100人ほどが下船した。
7月18日、十字軍はティ二ジアの古代都市カルタゴの近くに上陸した。しかし約束とは違い、現地兵達が攻撃してきた。十字軍はこれを撃退し、戦闘状態に入ってしまった。もとより和睦の意思で来ており、戦闘は望むところではない。軍はそこに留まった。ところがチュニスのカリフからは「もはや戦いもやむなし」と連絡が来たのである。
人を信じるルイはやはり裏切られた。甘いといえばそれまでだがこれが聖王ルイである。ルイはカルタゴに留まり、弟のシチリアのシャルルに援軍を要請した。しかしシャルルも準備がかかり、その間に前回と同じく疫病が広がった。
それまでから病身であったルイは重病に陥った。もはや死期を悟った王は息子を呼び、亡き後の教訓を伝えた。そして8月24日、彼はついに死の床につくこととなった。その日の夜、彼は低く「ああエルサレム、エルサレム」と呻いたという。その翌日彼は、主に軍が全員帰国できることを祈り、臨終の司式を行ったあと最後に「主よ、私の魂を御手にゆだねます」と祈ったあと帰天した。時あたかもキリストの死の同時刻だったと伝えられる。