Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

近代日本の幕開けの象徴か「世界遺産 富岡製糸場」(オーギュスト・バスティアン ポール・ブリュナ 作 1872年)

2018.09.09 07:12

(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2014.8.16> 主な解説より引用)

日本の建築シリーズ

    群馬県富岡市にあるこの建物。ご存じのとおり、つい最近「世界遺産」に登録が決定した、なにかと話題の建物である。(注: 本レポート記載時期は2014年8月)

   明治政府のいわばステータスとして、当時の西洋建築の粋を集めようと、フランスから日本へ招いた設計士と技師たち。

 1872(明治5)年、明治政府による最初の模範工場として、富岡製糸場が誕生した。西洋の技術(特にフランスからの器械製紙技術)を取り入れて建設し、当時としては世界でも最大規模を誇った製糸場は、百数十年の時空を経ても、ほとんど変わらない姿を今に伝えている。

   この建物の優雅で見事なのは、「和洋の融合」というか、日本伝統の木造建築技法と、

「木骨レンガ造り」という西洋の技法を、巧みに組み合わせて作り上げていった点である。

    特に特筆すべきは、使用されたレンガの数、約150万個すべてを、近隣の場所から「国産品レンガ」として特別に調達したことと、レンガ積みの精巧さである。

 また、西洋では普通に使われていた「メートル法」の普及がない当時の富岡にあって、大工や棟梁がそれまで使用してきた「尺貫法」を、「メートル法」に換算する術を、横須賀製鉄所からのアイデアで取り入れたりしたという。

 日本の工業化は、製紙からはじまった。働き手は、技術伝習工女として、全国から15歳〜25歳の若い女性が募集され、彼女たちは技術伝習後は、それぞれの地元で指導者として活躍した。当時の工女の日常を記した「富岡日記」の著者である横田(和田)英をはじめとする工女の活躍が、絹産業ひいては日本の近代化に大きく貢献した。

(番組を視聴しての私の感想綴り)

 「富国強兵・殖産興業」をスローガンに、時の明治政府はここを入り口として、「日本の近代化」への道を、まっしぐらに突き進んでいった。

 急務とされたのは、輸出品の要であった生糸の品質改良と、大量生産を可能とする器械製紙工場の導入と推進であった。

 過酷な労働と言われながらも、ガムシャラに働き続けた結果としての日本、そして終戦と戦後、高度成長の時代、バブルの時代へと突き進んでいった。

 平成世代を中心に、6年後に迎える「東京オリンピック・パラリンピック」。(注: 本レポート記載時期は2014年8月)  一方で超高齢社会への道は、加速度的に突き進み、世界に例を見ない、いわば「超成熟社会」を迎えるという予測が出されている。

 時代の節目のひとつが、「富岡製糸場」であったように、我々は次なる時代へ飛躍するための「シンボル」を、何に求めるべきか。残念ながら答えはない。一人一人の中にある「意欲」「熱意」「ポジティブ思考」の中でしか、新たな開拓の地平は見えてこないのではないか・・・

写真: 「世界遺産 富岡製糸場」(2014年ユネスコ世界遺産委員会で認定)

「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2014.8.16> より転載。同視聴者センターより許諾済み。