罰当たり地震報告(その1)
いやいや、大変なことでした。
えと、北海道胆振東部地震。
自分が住んどると読めん人がおることが意外だったりするけど、普通使わんもんねこんな漢字。「イブリ」と読みます。
この辺↓
テレビでいっぱい報道されたので、見ていた本州の方の方が詳しいと思いますが、最高震度が震源地である厚真の7。札幌は震度5強だったそうな。
おいちゃん揺れに鈍いのか、札幌で過去に何度かあった震度4までの地震では目が覚めたことがなく、いつも地震があったことを後から知るくらいなんですが、今回はさすがに気づいた。てか起きとった。午前3時8分。
ドーン!
と突き上げるような
とか一瞬書きたくなったけど、盛っちゃいかんねここ。
ゆっさゆっさ、ギシギシ、そんな感じだったかな。自宅がマンションの一階なので、比較的揺れは小さかっただろうと思うけど、いちおう震度5強。初体験。
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3:18
グループLINEに「揺れたねー」と入れたら、みんな続々出てきました。食器棚など家具が倒れたって報告も何件かありましたが、幸い身近なところにけが人は出なかった様子。
3:24
大きめの余震。
横揺れゆ〜らゆ〜ら((((;゚Д゚)))))))
3:25
停電💦(函館もほぼ同時に停電)
この時すでに断水していた人もいた様子。
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ログ追ってみると、地震発生からここまでたった17分。
こういう時に情報交換ができるのはとても心強いもんでしたねえ。情報、大事。あれ、グループLINEに誰も出てこなかったら、おいちゃんおしっこちびったかも。
そのあともほんの数分のあいだに、余震に備えてガスの元栓は閉めとけとか、FMラジオで詳細な情報を流しとるはずだとか、携帯の電源は温存しとけとか、役立つアドバイスをしてくれる人もいて、本当に助かりました。
で、おいちゃんは安心して外に遊びに行きました3時45分。←
いや、たまたまね、車にガソリンが多めに入っとったですよ。いつでも充電できるわいと思ったら強気でさ(^^;
てくてく歩いて外に出たら、道行く車のライトと建物の非常灯以外、なにも明かりのない真っ暗な街の景色がちょと不思議。星がいつもの何倍もたくさん見えて、これはほんとに札幌市街地の空かと驚くばかり。
同じこと考えるやつはおるもんで、けっこうやじ馬が出てましたね。
ここまでが初日の夜、地震直後。
二日目(6日朝~)
信号機がダウンして道路渡るの怖いですと報告が。
コンビニは長蛇の列、品物がなにもないとのこと。
こういう時、動きの早い人は早いやねえ。昔オイルショックでトイレットペーパーが店頭から消えた話とか、平成のコメ騒動を思い出します。
オイルショックはおいちゃんまだ幼かったけど、コメ騒動は1993年、はっきり覚えてます。どこに行っても日本の米が手に入らず、新潟産コシヒカリが闇で10kg 2万円まで跳ね上がったとか話題になったんだけど、早くにちゃっかり何十キロも買い占めて「ウチは安泰よっ」とかほざいとるおばちゃんがおったっけ。
結局、その異常な値上がりはブローカーが品物を足止めしとったことが原因で、実際にはそれほど不足な訳ではなかったらしく、終盤になってどかーんと値崩れ起こしたんだけどね。おばちゃん、買い占めた米ちゃんとぜんぶ食ったか?
あ、話戻ります。
今の社会がいかに電気に頼り切っとるかということを、ほんっとに、ひしっひしと痛感しました。電気が止まっとると、文字通り何っっもできんです。このところあちこち頻発する災害の話は聞いとるので、頭ではわかっているはずなんですが、これ実際に体験するのとしないのでは大違い。
まあおいちゃんの場合、料金未払いでライフライン止められるの経験済みだから精神的に有利だったんですけどねってそんなわきゃない、自分だけ止められるのと社会全体が止まるのとではこれまた全然ワケが違う。
厳寒期の北海道、真っ暗な風呂場で、手探りで蛇口を探し当て、氷のような水でシャワーを浴びたあの経験も、あまり役に立ったようには思えません。いざという時のため、予行演習で止めてみようなんて考えとるならやめた方がいいですよ。←
さて、こんな時にお気楽な自由業、今日の仕事はぜんぶナシ。夜の一番館練習会も無理です。踊っとる場合やない。
とは言え、幸い怪我もなく、電気なくても夜が明けて今は明るいし、携帯の充電はたっぷりだしってんで、じっとしとるのももったいない。
いや普段ならなんぼでも寝くさっていられるんですけどね、何やら気分がお祭りモードなワケですよ。
大きな声じゃ言えんが、
なんか楽しい。
で、そうかいそんな大変なことになっとんのかいと、ちょっくら社会見学に行ってみよかと。出かけましたよ。ガソリンいっぱいあるし。
せっかく調子出てきたけど、
長くなりそうなので
「続く・・・」