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LC=相棒's のじじ~放談!

「外部説によるコックピットの対話」・・・JAL123便。

2018.09.09 22:10

Electronic Journal


【転載開始】


■「外部説によるコックピットの対話」(EJ第4846号)


 1985年8月12日、JAL123便が羽田空港を

離陸したのは18時12分20秒のことです。

それから12分22秒後の18時24分42秒に

JAL123便の機長は「スコーク77」を宣言します。

その間に何があったのでしようか。


 これについて、角田四郎氏は、非常に意欲的で

有意義な試みを行っています。

それは、ボイスレコーダーの記録に加えて、傍証の

ある「推定」と傍証のない「想像」、さらに生存者の

「証言」を加えて、JAL123便のコックピットと機内

および東京進入管制(羽田)と東京管制(所沢)の

やり取りを再現したのです。

とくに何も断っていないのは、ボイスレコーダーの

記録です。

対話者は、C「機長」、O「副操縦士」、F(副操縦士)、

S(スチュワーデス)を表しています。


 JAL123便が、18時18分33秒に東京管制から、

シーパーチ直行の許可をもらった後から、

「スコーク77」までのやり取りを角田四郎氏の本から

転載します。


◎18分33秒:(東京管制)日航123便、現在位置

 からシパーチ(非義務位置通過点)に直行すること

 を許可する。

◎18分38秒:了解、現在位置から直行する。

 「推定」ベルトサイン、オフ。スチュワーデスは、

 子供客にサマーキャンペーンのぬいぐるみ人形を

 配り始める。小川哲夫氏は右通路より機外を撮影。

 高度1500フィート。

◎22分頃:「証言」川上慶子さん、咲子ちゃん、

 スチュワーデスから人形をもらう。落合由美さん

 雑誌を読む。「推定」高度20000フィートに達す。

◎23分頃:「想像」(O)機長!前方右45度に不明機

 発見。

 (C)どこだ!なんだあれ!調べて、早く。(O)はい。

◎23分頃:(C)距離は?近いの、小さいの。

 (O)小さいですね。何でしょうあれ!(F)わかりま

 せん。

◎23分頃:(F)あー!こっちに近づいてきますよ。

 (C)ベルト・オン!(F)はい。(C)なんだ、あいつ!

 調べて。レーダー?

◎23分××秒:ピン・ポーン(音)。(S)ただいまベルト

 サインがつきました。もう一度ベルトをして下さいませ。

 (客)すみません、トイレに急いで行きたいですが、

 ダメですか。(S)ちょっとお待ちください。

◎24分10秒:「想像」(F)はい、なんですか。(S)お客

 様でトイレに行き・・・・。(F)レーダーには映りません。

 (C)なんなの、調べて、よく見て!(O)はい。

◎24分12秒:(S)・・たいとおっしゃる方がいらっしゃる

 んですが、よろしいでしょうか。

◎24分15秒:(O)気をつけて。(F)じゃ気をつけて

 お願いします。(O)手早く。(F)気をつけてください。

 (S)はい、ありがとうございます。

 「想像」操縦室全員、緊張して前方を凝視。

 正体不明の小型飛行物体は、右10度に接近中、

 高度約23000フィートと日航機とほぼ同じ。

 進行方向、西南西。速度不明。ぐんぐん近くなる。

◎24分34秒:ドーン、ビー・ビー・ビー。

◎24分38秒:「想像」(F)だめ!やられた。

◎24分39秒:「想像」(C)なんかわかったの?なんか、

 あたったぞ?

◎24分42秒:(C)スコーク77

     ──角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故

   /このままでは520柱は瞑れない』/早稲田出版


 ひとつのポイントは、羽田空港離陸後、どこでベルト

サインがオフになったかです。

通常離陸後8分~10分で消えるのが正常です。

ボイスレコーダー(筆記録)上では確認できないのです。


 角田氏がベルトサインオフを18分38秒頃と推定した

のは、生存者の川上慶子さん(当時12歳)の証言で、

スチュワーデスから、ぬいぐるみをもらったのが、

そのぐらいの時間だったからです。

当然のことですが、スチュワーデスがサービスをはじ

めるのは、ベルトサインがオフになってからです。


 このとき、川上慶子さんは、母親に妹のもらった人形

の方がいいといったところ、母親にたしなめられたと

いっています。

その約5分後の23分になって、ベルト・オンになってい

ます。

コックピットでは、正体不明の飛翔体が123便に迫って

くるのを発見し、ベルト・オンのサインを出しています。

機長は、衝突の危険を察知して、事前にベルト・オンを

指示したのです。

もし、垂直尾翼破壊の原因が、急減圧による後部圧力

隔壁破壊であるとするならば、機長が事前にそれに

気がついて、ベルト・オンのサインは出せないはずです。

したがって、事故の原因は内部説ではなく、外部説に

ならざるを得ないのです。


 上記のやり取りは、いくつかの「想像」や「推定」部分

を含むとはいえ、矛盾なく、ぴったりと収まっており、

外部説──謎の飛翔体の衝突による垂直尾翼破壊説

を説得力を持って裏づけるものです。

ここに事故調が、生のボイスレコーダーを最後まで公開

せず、筆記録しか公開しなかった理由があります。

おそらく音声による生のボイスレコーダーを公開すると、

そこに誰でも外部説を裏づける決定的な証拠が収録

されているからでしょう。

だからこそ、ボイスレコーダーを筆記録にしたのです。


 筆記録であれば、都合の悪い部分は自由にカット

できますし、音の高さとか、衝撃さとか、声の調子など

から感じとることができる緊迫感などを誤魔化すことが

できるからです。

それに、おそらく事故の関係者ではない一般の人々は、

ボイスレコーダーがまだ公開されておらず、事故調の

作成した筆記録に過ぎないことを知らないと思います。

その生のボイスレコーダーは、現在日航が保管して

いるはずです。

なぜ、公開しないのでしょうか。

         ──[日航機123便墜落の真相/016]


≪画像および関連情報≫

 ●日航機事故から29年・フジテレビ特番を見て

  /2014


 単独機の事故としては世界最悪の520人が犠牲と

なった1985年8月のJAL123便便墜落事故から

29年が経過した(2014年の記事)。月日の流れの

速さを改めて感じるが、私の脳裏に焼き付いたあの

むごたらしい酷暑の夏の記憶は今なお決して薄れる

ことはない。

「御巣鷹の尾根」は今なお私、そして安全問題研究会

の原点だ。


 ところで、今年の8月12日は、いつもの年と少しばか

り違った。

フジテレビ系列の全国放送として、特別番組「8・12、

日航機墜落30回目の夏~生存者が今明かす“32分

間の闘い”ボイスレコーダーの“新たな声”」が放送

されたからだ。(中略)


 だが、同時に私は、事故というより「事件」と呼ぶほう

が適切かもしれない「御巣鷹の真相」は、おそらくこの

番組でも明かされることはないだろうと思っていた。

なにより30年近い歳月は短いようで長い。

当時を知る関係者も少なくなり、遺族ですら高齢化で

険しい御巣鷹の尾根への慰霊登山を断念する人が

毎年増え続ける現実がある。今頃になって新事

実が飛び出すくらいなら、とっくの昔に出ていて不思議

はないし、圧力隔壁崩壊説に疑問を抱く人なんて、

日本全国に今なお数万人単位で存在する。


 ミサイル撃墜説、自衛隊「無人標的機」衝突説を初め

として、この間、ありとあらゆる言説が流されてきた。

この事故のことを卒業論文のテーマにしようと考えた

学生が教授に相談したところ「君の命が危ない。悪い

ことは言わないからやめなさい」と言われた。

     https://bit.ly/2NP6obc


【転載終了】

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 当時、ミサイルでの撃墜説がネットで流れて

いた記憶がある人は多いでしょう。


 真っ先に自衛隊が現場に入ったのも疑惑の

要因でもあり、証拠隠滅を図ったという疑惑

さえありました。


 しかし、よくこんなボイスレコーダーの記録が

でてきましたよね。