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江戸時代将軍の日常生活に迫る!大奥の謎と贅沢な一日

2023.10.14 14:49

会社経営者の保坂学です。保坂兄弟は天下人と呼ばれる殿様の生活について調べました。

江戸時代、将軍たちの生活はどのようなものだったのでしょうか?「大奥」は将軍の妻子が住む複雑で神秘的な空間。今回は、その大奥の上級女中の生活や将軍の一日に迫ります。豪奢な日常とともに、大奥の謎も解き明かしていきましょう。


1. 江戸時代将軍の一日


江戸時代の将軍は、一日の大半を江戸城内の大奥で過ごしていました。朝の支度から政務に当たるまで、その生活は一風変わっていたようです。彼らはどのような一日を送っていたのでしょうか?

将軍の一日は、奥での朝の支度から政務まで、きめ細かいスケジュールに従っていました。大奥での生活が中心であり、日課や儀式が精密に組まれていました。


朝の儀式と支度


将軍の一日は早朝から始まります。朝6時に目覚め、小姓の「もう」との合図で一斉に朝の支度が始まります。便所に行く際には、大便所と小便所が用意され、季節によって異なる工夫が施されていました。


朝食と大奥の出迎え


将軍は朝食を大奥で摂ります。鱚の塩焼きや漬焼きなどが出され、将軍が好みの料理も取り入れられていました。朝食中に御髪番が髪を整え、医師の診察も受けられます。その後、大奥での出迎え「総触」が行われ、将軍は中奥へ戻ります。


政務と午後の自由時間


午前10時ごろからは政務が始まります。老中からの案件を聞き、決裁を下す一連の作業が行われました。政務終了後、将軍は楓の間でくつろぎ、御用の間で重要な仕事に集中しました。午後1時からは大奥へ向かい、上級女中たちとの交流がありました。


入浴と夕食


午後5時には入浴の時間がやってきます。将軍はただ風呂に行くだけで、すべての脱衣から着替えまでを小姓が世話していました。夕食は6時頃に行われ、様々な料理が提供されました。ただし、将軍がすべての料理を摂るわけではなく、箸をつけるだけのものも多かったと言います。


夜の自由時間と就寝


夕食後は再び自由な時間が訪れ、読書や娯楽に興じました。夜10時頃には就寝し、大奥で過ごす場合もありました。

将軍の一日は、奥深い大奥での生活が中心で、贅を尽くした儀式や楽しみが含まれていました。朝から晩まで緻密なスケジュールが組まれ、政務と自由時間が巧妙に調和していたことが窺えます。


2. 大奥の複雑な構造


大奥は広義には江戸城に複数存在し、本丸、西の丸、二の丸それぞれにありました。それぞれがどのような役割を果たしていたのでしょうか?

大奥は将軍の妻子が住む空間で、本丸、西の丸、二の丸に分かれていました。本丸が最も重要であり、広大な面積を有していました。


本丸御殿の大奥


本丸御殿は将軍の妻子が住む主要なエリアでした。将軍の正室や後継者がここに住み、日常生活が営まれていました。規模が大きく、大奥全体の約6割を占めるほどでした。政治的にも重要な場で、様々な行事が行われました。


西の丸の大奥


西の丸の大奥には将軍の跡継ぎや大御所が住んでいました。将軍の血を引く者や引退した将軍がここで生活し、特に重要な行事や儀式が行われたエリアでした。家族や家政婦たちがこのエリアに住んでいました。


二の丸の大奥


二の丸には将軍の生母や前将軍の正室、側室たちが生活していました。将軍にとって家族や血縁者が暮らす場所であり、家族の絆や継承に関連した出来事が多く起こったエリアでした。


総括と面積の比較


このように大奥は三つのエリアに分かれ、それぞれ異なる家族や身分の者が住んでいました。本丸が最も重要なエリアである一方で、西の丸や二の丸も家族や関係者の生活の場でした。広い範囲にわたり、機能ごとにエリアが別れていたことが大奥の特徴でした。

大奥の複雑な構造は、将軍の家族や関係者の生活に合わせて設計され、それぞれが異なる役割を果たしていました。これにより、家族や家政婦たちがそれぞれのエリアで適切な環境で生活できるようになっていました。


3. 大奥の奥深い役職体制


大奥の中には、上級女中や奥女中など多くの役職が存在し、それぞれの職務には厳格な階級制度がありました。その中での上級女中の生活や年収にはどのような特徴があったのでしょうか?

上級女中は将軍にとって特別な存在であり、年収2000万円以上という高額な報酬を得ていました。しかし、その特権は一般的なイメージと異なり、制約も多かった。


上級女中の特別な生活


上級女中は将軍に仕える特権的な存在で、将軍付の奥女中たちの中でも格が高い者でした。生活は豊かであり、上級女中は将軍の生活に深く関与していました。彼女たちは朝から晩まで将軍の身の回りの世話をし、重要な儀式や行事にも参加しました。


年収2000万円以上の高給与


驚くべきことに、上級女中の年収は2000万円以上でした。当時としては非常に高額で、将軍に近しい存在であることを反映しています。この高給与は、将軍の信頼と彼女たちの特別な地位に由来していました。


年功序列に基づく特典


上級女中が長期間勤め続けると、屋敷が下賜され、その賃貸料が給与に加算されました。また、30年以上の忠誠心に報いられ、死ぬまでの間年金がもらえました。このような特典は、大奥における彼女たちの貢献を評価する仕組みとなっていました。

上級女中の生活は豊かでありながらも、その特権は多くの制約とともに存在しました。将軍の信頼を勝ち取りつつ、家族や身の回りの世話に専念する一方で、厳格な社会規範に縛られた独特の生活様式が彼女たちを取り巻いていました。


4. 将軍と上級女中の関係


将軍と上級女中との関係は一概には言えませんでした。上級女中のうち、将軍が手をつけてよい女性は限られていました。その関係性や、側室に昇格する過程はどのようなものでしょうか?

将軍が手をつけてよい女性は限られ、特に将軍付の上級女中が選ばれました。ただし、すぐに側室に昇格するわけではなく、条件をクリアする必要がありました。


将軍の選り好み


将軍が手をつけてよい女性は限られており、その中でも特に将軍付の上級女中が対象でした。上級女中は将軍の身の回りの世話を担当し、その中でも信頼される存在が選ばれました。将軍は8人ほどの中から気に入った女性を選び、彼女たちとの関係が深まっていきました。


側室昇格の条件


ただし、将軍が手をつけた女性がすぐに側室として昇格するわけではありませんでした。その女性が将軍にとって何度も魅力的であると感じ、また彼女自身も将軍に忠誠心を示すことが条件でした。子供を産むなど、将軍の期待に応えることが昇格の鍵となりました。


政治力を抑制する仕組み


将軍綱吉の時代から、将軍と同衾した女性が政治的な願い事をしないよう、奇妙な制度が成立していました。将軍の寝室にはまったく関係のない女中が立ち会い、一晩中将軍の会話を盗み聞きして翌朝報告するという仕組みが採用されていました。

将軍と上級女中との関係は、感情だけでなく社会的制約も影響しました。昇格の条件や政治力を抑制する仕組みがあったことで、大奥の中での上級女中たちの立場や影響力が巧妙に制御されていたことが分かります。


5. 大奥の政治的影響力


大奥は将軍家の血筋を守る場であると同時に、政治的な影響力を持っていました。その中で、奥女中たちがどのように権力を握り、政治に影響を与えていたのでしょうか?

大奥は将軍家の血を守るだけでなく、政治的な権力を持っていました。その中で、特定の奥女中たちが権力を握り、時に幕府の政治に影響を与えていた。


影響力を持つ奥女中


大奥内では、特に将軍や御台所に近しい奥女中たちが政治的な影響力を握っていました。例えば、桂昌院や月光院に取り入った奥女中が、将軍の信頼を受けて政治の舞台で活躍したことがありました。これにより、彼女たちが幕府の権力の中心に立つことがありました。


田沼意次の例


田沼意次は大奥を巧みに懐柔し、政治の舞台で彼女たちを使いこなしました。大奥の中での権力争いや派閥形成が、時折町奉行や老中の人事にも影響を与え、田沼意次の栄達に繋がったと考えられています。


制度上の制約


しかし、大奥の影響力も制度上の制約がありました。将軍綱吉の時代からは将軍と同衾した奥女中が政治的な願い事をしないよう監視が行われ、その仕組みが権力のバランスを保つ一因となりました。

大奥の中での権力闘争や将軍との関係が、時に幕府の政治に影響を与えていたことがうかがえます。しかし、同時に制度上の制約があったことで、政治的な影響力は微妙なバランスを保ちつつ発揮されていたことが分かります。


江戸時代の将軍と大奥の生活は、我々が想像する以上に複雑であり、上級女中たちの役割や生活は奥深いものでした。将軍の一日のスケジュールや大奥の構造、役職体制に迫ることで、歴史の舞台裏を垣間見ることができました。