2023年 10月15日
暑からず、寒からず、快適な気候が続いている。それでも徐々に秋は深まり、日差しの低さを感じるようになってきた。すでにあちこちの田んぼでは稲刈りが始まっている。
ただ、20年以上藤野に住み続けて来たけれど、これはやはり、本来の秋ではないな、という印象はある。雨が降る時でも、冷たい秋雨ではなく、南からの暖かく湿った空気による雨だと感じさせる。実際、今週降った雨は、房総では注意報を出す豪雨になったらしい。
ニュースにあったけれど、最近の研究で、2010年頃から気候の明らかな変化が認められたという。それまでとは違う気候の段階に入っていたと。
それまでの気候は、夏にも「冷夏」というものがあった。確かに、それは私にも実感がある。数年に一回は、田んぼの不作や、海水浴客の減少を嘆く記事が紙面をにぎわしていたものだった。
それが2010年の頃から、冷夏という事がすっかり減ってしまう。それまで夏と言ったら、「普通の夏」「暑い夏」「冷夏」の三つのどれかだったのが、今では「普通の夏」「暑い夏」「猛暑」の三つになっている。そういわれると、確かにそうかなぁという気分になる。
冷夏が無いというのは農産物には良い事なのかもしれないけれど、猛烈な暑さになると、かえって駄目になる農産物もあるだろう。
北海道が米どころになったのも、寒さに強い米を作り続けた品種改良の成果もあるのだろうけれど、普通に北海道が従来よりも暑くなったことも理由にあると思う。そんなことを思うと、異常気象だとか気候変動だとか、今の気候が悪い事で、かつての気候に戻る事が正しい事のように言われがちだけど、これから寒冷化したら、また北海道で米が作れなくなる可能性もあるのだろう。それはそれで、いろいろと混乱と悲劇があるはずだ。
とはいえ、私自身は、やはり気候変動や温暖化はあまり好ましい事態ではないと言う気持ちが強い。もしかしたら、温暖化した方が農産物が育つという可能性があるとしても、温暖化によって気候が極端になる現象も、確かにあるようなのだ。
ゲリラ豪雨とか、線状降水帯とか、かつては使われなかった言葉が、今では当たり前のように使われる。毎年のように日本のあちこちで豪雨被害が出るようになり、世界的に見れば熱波や旱魃被害も酷い。
これは、私の単なる昔への懐かしさだけかもしれないけれど、昔の気候の方が穏やかで風情があって良かったのではないかという気持ちは強い。もっとも、20年前、30年前の気候なんて知らない現代の若者からしたら、私のこんな気持ちも理解はできないのだろうな。
10月中旬なんて、20年前なら、藤野は昼間ならともかく、陽が落ちたらストーブなしでは耐えられない寒さだったけど、今は全然平気だ。
ここ何回かこの日記で、私が疫病にかかった経験に絡んで、自動車の自動運転がもっと進んでくれないか、といった事を書いた。たぶん、この問題は、これから否応も無く進まざるを得なくなっていくと思う。
最近になって、地方のバス路線やタクシー会社が、路線の廃止や規模の縮小、営業の停止を余儀なくされる事態が報道されている。その原因の最たるものが、「ドライバーがいない」というもの。そういえば、地方のタクシーの運転手って、けっこう高齢のドライバーがやっている所って多いね。
ただこの問題、ちゃんと給料が払われているのだろうか、という疑問もある。タクシーのドライバーやバスの運転手が、「職業」としてちゃんと成立しているのだろうか。具体的に言えば、その仕事をしていれば、普通に生活が出来て、結婚も出来て家族も養えて、家も買えて子供を大学まで進学させて、老後も安心して暮らせるのか。
これは介護現場の仕事とか、育児現場、建設現場の仕事とかにも言えるのだけど、「それは一生を普通の人間として暮らせるだけの収入を約束された仕事なのか」と問われて、胸を張って肯定できる仕事って、けっこう減っていると思う。
特に、体を実際に動かして働く分野に、その傾向は顕著なのではないか。
新幹線の車内販売も無くなるそうな。これも、いろいろと理由があるだろうけれど、「実際に手足を使って仕事をする」人を、雇い続ける人件費が捻出できなくなっているのではないかと思う。
この現象は、私にはけっこう怖いと感じさせる。頭だけ使ってする仕事が優遇され、体を使って仕事をする人が冷遇されて、その仕事をする人がいなくなってしまう社会になると、頭を使って生まれたアイデアも実践できる人がいなくなり、絵にかいた餅ばかりを乱発する世の中になってしまうのではないか。