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Angler's lullaby

The shadow of blue

2018.09.22 15:00

「俺、釣りが好きという訳じゃないんですよ。」

嘘を付く人物じゃない。本当に源流釣り以外には興味・関心を全く示さない。

「この釣りの雰囲気が好きなんです。美しい景色と水、山女魚たち、そして写真を撮る。そんなことが好きなんです。」

彼の発した印象的なフレーズを頭の中で何度も反芻(はんすう)してみる。

シンプルで力強い口調の裏を感じ取ろうとする。

確かな観察眼を持った眼光の奥を覗き返そうとする。

何日かの間ぼんやりと考えた。

そしてある時、脳内で散らばったイメージが繋がり、形になり、腹の底にスッと落ちた。

そうか。彼の釣りは、いわゆる普通の釣りじゃない。アーチストの作品製作に近いんだ。例えばミュージシャンが曲を作り、音楽を演奏するように、画家が絵を描くように、彼は釣りをし、写真を撮る。

きっと彼自身の内側にあるアートを表現するための手段の一つが釣りだということなんだろう。
釣りの中に潜む芸術性ではなく、芸術性の表現手段として釣りをしているんだろう。
そう思った。

仮にも芸術というからには、多かれ少なかれ苦難を伴っていなければならない。

ヌクヌク、ホイホイ、ワイワイだけじゃアートたり得ないのだ。きっと。
そしてこの日はまさしくそんな日だった。

「俺、普通こんな雨の日は釣りに行かないんですよ。特別ですよ。」


こんな言葉にもいくつか理由があるだろうが、その一つは美しい写真が撮れないということに他ならない。ちなみに彼の本業は写真家。

しかし反面、とても正直に言うと、彼のジムニーに乗せてもらえたこと、それだけで私のテンションは上がりきっていた。
事前の情報と、隣で雨雲の状況をネットで確認するのを見て、遠く、険しいであろう道のりは予想できたが、例えそれがどんなに険しくても、楽しめるという変な自信が私にはあった。

スコップ、バール、ゴム手袋、ナタ、ノコギリ

この日、釣り場にたどりつくまでに使った道具たちだ。(そもそもこんなのを車に積んでいること自体すごいと思うが。)

土砂崩れでふさがれた道を開くために、スコップで土砂を堀り、車が通れる幅を確保するために大きな岩をバールで砕き、ゴム手袋をした手でせっせと斜面の下に投げ捨てた。

それから間もなくして今度は林道に見事に倒れかかる4~5本の木々。ノコギリとナタを使いながら全身の力を込めてそれらを切り倒し、ルートを作った。

エントリーポイントにたどり着く前に、シトシトと降る霧雨と自分たちの汗ですでに身体はぐっしょりと濡れていた。

ロッドティップから2~3㎝出たナイロンラインを軽く息を吸い込むようにクルリと回し、全く力みのないモーションでバックハンドキャストを行う。

まるで意志を持ったかのようなラインは限りなく直線的に目指すポイントの直上に迫り、ピンポイントでサミングを掛けられたミノーは一瞬空中で停止し、その顔をまっすぐにアングラーに向け、水平の姿勢でポトリと水面に落ちる。

事前に決めていた立ち位置からリトリーブコースとレンジを読み取り、喰わせのターンを行う場所までラインの弾力性を活かしつつロッドアクションを加え、ストーリーを編み上げていく。

これが彼の一連のムーブ。

反対に、この日の私の釣りについては、特に何も語ることはない。さすがにボウズではなかったが、正直、手も足も出なかった。半分以上ガイドを務めてくれた彼に対して申し訳ない気持ちになった。

源流というフィールドにおける自分のタックルや、釣り方についても色々と見直さなければならない。しかし、そこには悔いも未練もない。なぜなら、いたずらに使いやすい最新のルアーに頼らない彼の釣りは美しく、彼が捉えた山女魚たちはそれ以上に、圧倒的に美しかったから。

彼もきっとそうであるように、私も何より美しい釣りを求めたい。美は何ものにも勝る価値だ。

あの特別に美しく、老成化した山女魚たちと出会いたい。自分自身の手で。そのためには今までのやり方を変えることに抵抗はない。

彼から、「門外不出でお願いしますね。」と念押しされ、封を解いてもらった源流域。

遠く、険しい道のりを経ることでやっとたどり着ける、放流魚のいない奥沢に息づく野生の山女魚たち。

あいにくの雨模様で、彼の言うとおりあまり良い写真を撮ることは出来なかったし、目指した一年中深紅の色をまとう尺山女魚には出会えなかったが、それでも普段見ている山女魚とはその美しさ、野性味、それらを全て含んだうえでの迫力が違った。


ほとんど黒点がなく、ヌラリとした輝きを放つ背中。

まるでこちらに噛みついてきそうな鋭い顔つき。
濃いヴェールの上にうっすらと紫色をまとう宝石のような一匹。


昔の日本人は夕焼けのような赤色を緋(ひ)色と呼んだ。
やはり無黒点の背中を持つこの一匹の体側にかけて流れる鮮やかな色はまさしくこの色。
その顔には濃い体色とは裏腹に真っ白な歯が見えて、2つのコントラストがなお一層お互いの美しさを際立たせる。

どちらの魚も姿を見た瞬間、言葉にならない大声を上げた。

大げさではなく、胸をしめつけられるような感動が迫ってきた。
もはや山の神の化身と言ってもいいかもしれない、そう感じた。

彼には確固たる美意識がある。おそらく、どんな偉い人物が意見しても彼は彼の世界を微動だにさせないだろう。


原種とか在来という言葉にも全く興味を示さない。ただ、ただ美しい野性の山女魚を求めている。

私に師匠という存在はいない。それは今後もきっと変わらない。

しかし、彼だけはどうにもこうにも意識せざるを得ない。

だいぶ後発組かもしれないが、あの青い影を追いかけてみたいのだ。