掲示伝道(10月no2)
2023.10.16 00:42
「 私とは私の思いよりもっと深い意義を持っている 」安田理深
私たちの持つ「分別の眼」は常に周りをいい、悪いと分別し、時には私自身すらもそのように分別していきます。そして、自分にとって都合の悪いものは切り捨てていこうとするのです。
言ってみれば、常に他者を、そして我が身を自らのモノサシではかっているのです。そのモノサシが自分に向けば、優越感と劣等感しかありません。そのようにしか我が身を受け取れない私たちは、本当の我が身とはどのような存在なのかを知らないのです。
そのような我が身を知るためには、我が思いではなく、仏法によって知らされるほかありません。
仏法より知らされる我が身とは、お釈迦さまが
天上天下唯我独尊
(天の上にも下にも、我独りとして尊し)
と言われるように、誰とも比べる必要もない、ただ独りとして尊い存在なのです。このような眼が開かれるということは、同時に、同じく共に一つのいのち、一如のいのちを生きるものとして、他者のいのちも等しく尊いものであると気付かされるということです。
このような眼が開かれること、このいのちの真理に目覚めることこそが、仏法が、そしていのちそのものが私に願っていることなのではないでしょうか。