軽くない質問。
月曜日学習会は、比較的今日は
人数少なめでした。
多いかもと気合い入れてましたが、
自宅で静かに対策してる子も
増えてきたようです。
さて、明日は6年の総合テストですが、
今回も、解き直しておいてもらいたい
例題、類題などをきちんと指定しました。
今日来ていた子たちは、
早々に質問を終えた後、余った時間は
指定していた問題の解き直しに
挑み続けておりました。
そんな中、18時を過ぎた頃、
珍しい子が来ていました。
既に自分で試験範囲を終えてたようですが、
計算問題集の方で、どうにも解決が
難しいものがあったようで、
そこだけがっつり⭐︎マークがつき、
質問するぞ!という迫力が
メラメラしていました。
視点の高さが伺えます。
本当は自分で解決できるもの、
本当に自分では解決が現時点で難しいもの、
その線引きのあり方が違っているようです。
今日までにかけてきた時間、
例題や解説に向き合った時間、
決して軽くない質問。
この子が質問する時は
よっぽどの時だけ。
質問に来る子は少なくありませんが、
その内容の重さは、どれだけ
その子がその問題に向き合ってきたかが
とてもよく比例します。
ただ、分かんないから来ました、
みたいな子もいますが、
解説する気はあまりないです。
「この辺読んで考えたら?」くらいな
対応をしたりすることも、
生徒によってはあります。
このような対応をするのは、
成績が上がってきて、かつ、
自分で習得する力が足りない
途上にある子だけですけどね。
これを言われ始めた子は、
能力は向上したけど、
他に大切なことがある子です。
わたしの指導のファーストステップを
終えた子なんですね。しかし、
根本的な部分を変えなければ
いつまでも指導者に頼らなければ
成績が上げられなくなりますし、
指導は、次のステージ、また
次のステージへとレベルを
上げてゆかなければなりません。
私に、この子の質問は重いな、と
思わせられたならば、
一段ステージは上がりきってます。
頼りにきたのではない、
自分をアップデートしにきたのだ、という
迫力を感じると、そこから
家庭学習の姿がふっと
具体的に浮かんでくるのです。