hemisinx
写真のワークショップで、毎週1枚投稿するのだけれど、候補からあふれた写真はいくつもあって…。
フォトショ持ってた頃みたいに、細かい角度調整とかもうできないのが、残念やね〜。
最近は、あまりにも状況がめまぐるしく。毎週色々ぎりぎりです。占星術カレンダーを見ながら、カード引きながら…。でもそれ以上に、予感みたいなのものがあるものです。
予感とか直感って、でも、例えば語学をずっとその言語の海に沈んでいると理由はわからないけど習得していくのと同じだと思います。
何で思い出したんだろう?最近なんかの拍子で、昔の霊体験を思い出しました。明晰夢と霊体験って裏同士じゃない?現実に霊があることが霊体験、霊に現実があることが明晰夢。
霊体験よりも自分に多いのが、臨死体験です。
でも、臨死体験みたいなのは、生命について考えさせられます。「死ぬ時こんな感じなんだな〜」は体験したことがあって、いい意味で。それも小1か小2だったんで、普通に生きられなくなって、今こんな私の現状があるんでしょう。
死ぬ時の感じは若くても学べますが、歳をとった時の感じは若いうちには学べません。自分なんかは老いよりも死の感覚を先に体験したので、まだ生命の知らない感覚が多くあります。
10代20代の私の最大の生きる目的は「死とは何かを知ること」でした。全ての興味がそこに向かっていました。人は死と痛みを混同しますが、むしろ逆のものです。ただ、痛みの中で人は死にかけると、生きたいという本能がすごく強く出るので、時期によるかもしれませんが、混同されるのかもしれません。
死については、自分が経験したこと以外、結論はないですが、仮説を多く知って、なんとなくヴィジョンがより強くなったかもしれません。
人生で自分が一番叶えたいことがあって、それが痛みのない死です。最終的に死がそういうものであるとは知っているのですが、過程も大事にしたいのです。
かつて、友達の家の猫がそんな感じで亡くなったので、私もそうありたいので、その猫の名前に改名したいくらいです。
名前ってかもう苗字変わりたいってのも長年の夢ですが。家系に関する嫌な出来事があったりとかってのもあるかもですが、単にその方が堂々と生きられるようになるかなあって。これもまた、知り合いが結婚で苗字変わって、いいなあってなっただけですが。