元治甲子殉難碑(天狗党の墓)(茨城県鹿嶋市)
2019.05.13 10:40
(左から順に)故諸士之墓、殉難諸子之墓、元治甲子殉難碑、他2基
題:元治甲子殉難
川俣茂七郎組木村兵八田中愿蔵組大古安
蔵仝篠村重吉鉾田村出生川島久助川俣茂
七郎足軽政吉佐原旅籠屋近江屋久兵衛岡部矢一郎組初五郎林五郎三郎組齊藤釜五
郎仝石𣘺久兵衛伊藤十一郎組安田兵八加
代磯吉田口重蔵組金蔵黒澤新次郎組立花
忠八米川榮吉組中島米二郎忠氏清助高𣘺
專蔵別當石𠮷麻屋弥𠮷瀧田尾之助金五郎
飛田藤𠮷氏名不詳二 波山記事
建立年:不明
建立者:不明
建立地:鹿嶋市宮中3576-4
史跡 天狗党の墓
元治元年(一八六四年)大平組と称する天狗党の一隊八百人余りが宮中へ屯集した。この一隊は、幕府追討軍に追われ鹿島へ集まったもので、旅館や寺院などに宿陣したが、川股茂七郎以下八十人程を殿軍として、大船津から延方へと渡っていった。この時川股勢と幕府軍との間に砲戦があり、大船津は兵火に焼かれる。幕府軍は江戸から府中(石岡市)・玉造・鉾田を経て鹿島へ到着し残党を探索した。捕縛された二十三人は下生の石橋外で打ち首にされ、大掾辺田の馬捨て場に埋められた。明治になり斉藤俊 鹿島初代郡長によって「殉難諸士之墓」が建てられている。
え えのきの下に天狗のお墓(鹿嶋市文化財愛護かるたより)
昭和五十五年七月十四日 市指定
鹿嶋市教育委員会
(案内板より)