9月11日 長井市内[菅野芳秀さんを訪ねる]
ここ長井市では、東北の他の地域同様、平野部に広大な水田地帯が広がり、朝日連峰から流れ落ちる清涼かつ豊富な水が稲作を助けている。
今日は午後から、ここ長井で農業を営まれる菅野芳秀さん宅を訪問する。菅野さんは公的に発言している方なので、名前を出してもいいだろう。
今から22年ほど前、私は菅野さんと出会った。友人の誘いで聞きに行った講演会。その講演者が菅野さんだった。
その講演がきっかけとなり、私は東京を離れ、父親が営む有機農場へと戻って行ったのだった。
菅野さんのお宅を訪問するのは20年ぶりだ。私が農業に従事し始めてから2年目の夏だったと思う。その後1年ほどは、ニュースレターをお送りしたりしていた。私はその後3年ほどで農業から離れてしまったので、その後は知人やメディアを通じて菅野さんの活動について見聞きはしていたが、自分から連絡をするようなことは無かった。
大地に根を張り生を営む農業者に、地に足のつかない今の自分が一体何を話せるのだろうか。考え過ぎと頭で分かってはいても、いい年をして緊張してしまう。昨日の夜、思い切って電話をすると、「おう、もちろん覚えているよ!」と力強い声が返ってきたのが救いだった。
ナビに住所を入れて行くと、朝日連峰の山並みを背景になんとなく見覚えのある鶏舎はあるのだが、周囲の住宅のどれだか分かない。ウロウロしていると、奥様が通りに出て、手を振って出迎えてくださった。そして、「早く入れよお」と奥から出てきた身長190cmの菅野さんの手はやはりゴツかった。
菅野さんについて説明するには、彼が中心メンバーとして始動した「レインボープラン」を紹介することになる。
90年代にこの長井市で行政・住民一体で開始したこのプロジェクトには、「台所と農業をつなぐながい計画」という別名がある。簡単に言うと、長井市の家庭から出る生ゴミを堆肥化し、地元農家に使用してもらうというリサイクル・プロジェクトだ。
地域住民の家庭から集められた生ゴミ
(レインボープランのHPから転用)
「最近土の力が弱くなっているのではないか?」という農家の危機感から、田畑に充分に有機肥料を与える必要性を感じ、その原料を地域の生ゴミに求めたのだ。そして、「ただの廃棄物としてお金をかけて燃やすだけ」だった生ゴミが、「地力回復のための重要な資源」として活用されたので、結果的に行政のゴミ焼却費用は大きく削減された。
8年もの準備を経て実現したレインボープランは現在も継続しており、長井市の市街区5000世帯の生ゴミがほぼ全て堆肥化され、地元農家を中心に使用されている。
(レインボープランのHPから転用)
循環型社会実現のための成功プロジェクトとしてあまりにも有名なため、これ以上書かないが、堆肥化といってもそう簡単なことではなく、相応の設備により正しい方法と必要な時間をかけ適切に発酵させないと、土に入れても作物の生育を阻害する有害物質になりかねないことは、書いておきたい。
菅野さんは大学農学部を卒業後、実家の農業を継がれた。
彼が農業を始めて間もない70年代、日本に起こったのが減反政策問題。地元農家がやむなく政策に応じる中、農家のプライドを傷つけ、生活基盤を揺るがすものだとして一人反対を貫き、若くして農村で孤立する状況に置かれたこともある。
「菅野は農業をやりたくて農家になったのではなく、農民運動をやりたくて農家になったのではないか」と言われた、そのイデオロギー重視のスタイルは健在。
無農薬無化学肥料による稲作と平飼い養鶏を行う農業経営は、現在規模も拡大し、経営も順調。「普通の農業には興味がないけれど、お父さんのやっているような農業ならやってみたい」と言って跡継を買って出たという息子さんとの共同経営となった。
菅野さんの活動はレインボープラン以外にも、アジアなど海外への有機農業指導や農民交流の活動など幅広く行なっており、著書も多い。最近ご病気で活動を自粛されたものの、その溢れるようなエネルギーとオーラは変わらず。
ここ4年ほどは、「置賜自給圏構想」という社団法人の代表理事として、食の地域自給と有機農業振興、再生可能エネルギーの試みといった広範な分野に関わる活動をされており、菅野さんの名前で検索すれば情報を得ることは難しくない。
日本の農業を取り巻く環境に目を転じれば、農薬メーカーや種子メーカーの合併と巨大化が進む中で、農業を取り巻くグローバル化の動きは加速している。そして、種子法の廃止により、自国の農家のための種子の開発・普及が、行政により保障できなくなってしまった。
そうしたグローバル化の流れは、農業の更なる高度化を要求するが、私は、たとえ農業経営という高いハードルはクリアできなくても、そして、「個人レベルでの完全な自給自足」などと肩肘張らなくても、人間として自然な生活実感を得るための「食べ物の生産」を、希望する人全てが無理な投資をせず実現することができればいいと思っている。
農業から離れている自分は、キャンピングカー生活の話などを主にしていた。それでも、「日本一周をする中で、ささやかでも自分の身の回りのものを自分で作り出す生活ができるよう模索したい」とは伝えた。これだけは伝えておかないと、と思った。
今回、北海道出身で小学校教諭を続けられていた奥様のお話も聞くことができ、こちらもリラックスして、あっという間に3時間が経ってしまった。
菅野さんご夫婦二人三脚で歩まれた人生の重みを感じたひと時だった。
帰り際に菅野さんの著書2冊を頂き、お宅を後にする。
闘いの場を退いてしまったという、心の奥底で燻り続けている痛みを、菅野さんご夫婦に少しだけ軽くして頂いた。(Y)