群盗、第7章
群盗、第7章
Brigands:chapitre Ⅶ
2004年7月3日 渋谷シネアミューズ・イースト 1996年フランス=スイス=イタリア=ロシア=グルジア:129分:監督 オタール・イオセリアーニ
私は重層的な映画や話が好きなんですね。単層的な一つの話だけでなく、色々な話が同時に進行したり、映画や本の中にまた映画や本が出てきたり・・・というもの。去年ではアトム・エゴヤン監督の『アララトの聖母』などですが、この映画の重層さったら、もう、垂涎ものですね。(1996年ヴェネチア映画祭審査員特別大賞受賞)
まず現代のトリビシから始まって、1991年トリビシ内戦時、ロシア政府による粛清時代のグルジア(1930年代)、中世のグルジア・・とこの3つの時代の3つの話が交錯して描かれます。しかし、役者は各時代同じ役者を使っています。
たとえば、主役のアミラン・アミラナシヴィリは中世では征服にあけくれる王、粛清時代はテロリストから人民委員に変わり身する男、現代では浮浪者・・・それが脇役からすべて、各時代の各話に色々な姿、役割で登場するという、複雑さ。
じゃ、これまったくわけわからず混乱しますか?というと実はすっきりしています。別に時代がかわるごとにごとに字幕を入れて説明や表示もしないし、映像のカラーを変えている(過去をセピアやモノクロにするとか)わけでもなく、すんなり次のシーンでは時代がびょ~~~~んと飛んでさっきの話の続き、になるのですが、3つの話は全く混乱しませんし、シーンのつなぎ目は実にスムーズ。そしてラストは冒頭の現代に戻ります。
ではこの3つの話は独立している別々の話か?というと細かいところで・・・・つながってます。ひぃぃぃ~~~~(って意味不明の叫び)
イオセリアーニ監督というのは、最初に音楽院で楽器と声楽を勉強し、大学で数学を学び、数学者となり、そして哲学を学び、ついでに冶金の精錬工もやってるという多才な人なんですね。その要素が全て凝縮されているといってもいいかもしれません。
しかし全体を見終わってみると、3つの話はすべて戦争=戦いの時代を描いており、時代がかわって、武器や機械が進歩しても結局人間が戦争するという基本的なことは全然変わっていないのよ、という、いやぁ、シンプルですね。
中世の原始的な残酷さ、粛清時代の暴力的圧力(中国の文化大革命みたい)、内戦時の武器の数々・・・悲惨を描いて怖いのですがなんとも視線は喜劇的で遊び心と余裕に満ちている。うわ、複雑。
内戦時の戦車、装甲車のデモンストレーション、売買のシーンではテクノミュージックを・・・と注文する監督、オタール爺であります。子役に実の孫の兄弟を抜擢していますが、なんとも涼しい顔して残酷なことをさせて(といってもそれがまた喜劇的、風刺的なんですが)・・・なんという祖父だっ!!
(兄の方は、後の『素敵な歌と舟はゆく』の大金持ちの息子ニコラ役をやらせ、また次の『月曜日に乾杯!』ではメイキングフィルムを撮らせていますから映画の英才教育、というべきか・・・ただの孫かわいい~~~~だけのジイサンじゃありません・・・が、両脇に孫を抱いてニコニコしている写真は孫がかわいくてならない普通のおじいさんだよ・・・)
以上、4本鑑賞しての感想・・・オタール爺は頭がいい。