末っ子、どんぐりソムリエになる
秋である。
夕焼けを意識したかのように木々が染まり、爽やかな空気が風とともに街を抜けていき、たくさんの植物がふっくら丸々と成長していく、実りの秋である。
モリアーティ家も勿論その秋の恩恵を受けており、森に等しい庭木達は美しい赤や黄色に染まっていた。
屋敷に住まう三兄弟は仲良く秋めいた庭を散歩している最中だ。
「あ、ありました!」
落ち葉で作られた絨毯の上をちまちま歩き、時折しゃがみながらじっと地面を見つめていたルイスは手を伸ばしてそれを拾う。
紅葉によく似た小さな手を目一杯に広げた上に乗っているのは、同じく小さな木の実だった。
「にいさん、にいさま、どんぐりみつけましたー!」
ぷっくりと丸く、ツヤツヤと綺麗で、傷ひとつない小さな木の実。
秋を感じさせる色合いをしたどんぐりを見つけ、ルイスは兄達に見せようと小走りになって彼らの元へ向かう。
片手にねこのぬいぐるみ、片手にどんぐり、そして満面の笑みを浮かべたルイスと目線を合わせたウィリアムは喜んだように声をかけた。
「良かったねぇ、ルイス。もうどんぐりが落ちているんだ」
「探しに来た甲斐があったな」
「このどんぐり、ぴかぴかしててきれいなどんぐりです」
「本当だ。ぴかぴかツヤツヤの素敵などんぐりだね」
「良いどんぐりを見つけたじゃないか、ルイス」
どんぐりを見つけて嬉しそうなルイスを見やり、ウィリアムもアルバートも笑みを浮かべた。
小さな秋の存在を教えてくれる可愛い末っ子の存在は兄達の心を癒すのだ。
「むこうのほう、まだたくさんどんぐりがあるとおもいます」
「よーし。一緒に探しに行こうか」
「あまり遠くには行ってはいけないよ」
「はい」
ルイスは拾ったどんぐりを斜めにかけていたポシェットに入れて、ぬいぐるみを両手に抱えて再び前を歩き出す。
何歩か進んだところで後ろを振り返り、ちゃんとウィリアムとアルバートがいることを確認しながら、小さな足で小さな歩幅のままどんどん先へ進んでいく。
落ち葉を踏むたびに、カサリ、パサリ、という乾いた音がして中々楽しい。
ルイスは飛び跳ねるように足を動かし、より大きな音がするように歩いていった。
子どもという存在はどんぐりがすきである。
ころころしたサイズ感や光沢のある色合い、何よりたくさんの中で自分が見つけた自分だけの特別なもの、という価値観が魅力なのだろう。
どんぐりを見つければ拾い集め、家の中がどんぐりで飾られていく。
おそらく親という存在のほぼ全員がそれを経験として知っており、親ではないがルイスの保護者であるウィリアムとアルバートもよくよくそれを知っていた。
モリアーティ家の敷地に存在する木々達は秋になると色づき、たくさんの木の実を落としてくれる。
二度目の人生ゆえにその現実を季節の巡りとしか捉えていなかった二人だが、何も覚えていないまま生まれてきたルイスが見せた反応にはいたく感動してしまった。
それはルイスが歩くようになって初めての秋。
落ち葉に埋もれてしまいそうになりながらよちよち歩くルイスは、その日初めてどんぐりを見つけたのだ。
小さな手で握りめられるくらいの小さな木の実。
それを見たルイスの真っ赤な瞳は、まるで肥えたどんぐりのように丸くなっていた。
「にぃに、にぃ、まる」
「丸いねぇ。これはどんぐりだよ、木の実なんだ」
「どんぐり?」
「そう、どんぐり。これを土に植えるといつか大きな木になるんだ」
「どんぐり、あかちゃん」
「そう、木の赤ちゃんだ。ルイスは賢いね」
「どんぐりー」
「食べちゃ駄目!!」
「あ、うー」
ぶぅ、と唇を尖らせたルイスはどんぐりを取り上げてしまったウィリアムを睨みつつ、めげない精神で別のどんぐりを拾い上げては口に入れようとする。
そして今度はアルバートにどんぐりを取り上げられてしまい、本格的に拗ねながら八つ当たりのようにどんぐりを見つけてはペシペシと叩いていた。
食べてはいけないことを渋々理解しつつ、けれどどうしても興味をそそられるらしい。
あちこちにしゃがみ込んではどんぐりを拾い、小さな手に乗るだけ乗せてたくさんのどんぐりを集めていたが、ぽろぽろ落としながら歩く姿はまるで木々の妖精のようだった。
「どんぐり、どんぐり」
「ルイスはどんぐりがすきなのかい?」
「どんぐり、すち!まるくて、んーと、ぴかぴか」
「確かにルイスのどんぐりはどれもぴかぴかしているな。とても綺麗だ」
その日以来、ルイスは庭に出るたびどんぐりを見つけては拾い集めている。
ルイスの中では丸くてツヤツヤしたものが正義のようで、集めるどんぐりはどれも肥えてふっくらしており、光を反射するほどに輝いていた。
可愛らしいことだとウィリアムとアルバートが微笑ましげにどんぐりと戯れるルイスを見つめていれば、小さな両手を差し出される。
それぞれの手にはどんぐりが一つずつ乗っていた。
「にぃに、にぃ、どんぐり」
「僕にくれるのかい?」
「ん!どんぐり、あげゆ」
「…ありがとう、ルイス!」
「大事にするからな!」
大事に拾い集めた大切などんぐりを、惜しむことなく兄達へとプレゼントする。
その純粋無垢な姿がとても愛おしくて、ウィリアムとアルバートは小さなその体をどんぐりごと抱きしめた。
それが去年の秋のことである。
秋の間中、ルイスはずっとどんぐりを拾い集めては一等綺麗なものをウィリアムとアルバートにプレゼントしてくれた。
ルイスにとってどんぐりはとても価値のあるものだから、お礼を言うときにはどんぐりと一緒に「ありあとう」と言うのがちょっとしたブームにもなっていた。
ウィリアムとアルバートには無条件に、乳母やメイド、料理長などには何かお礼を言うたびにどんぐりをおまけにつけていたのだ。
ちなみに受け取ったどんぐり達は二人の手によって適切に処理されてから今も尚部屋に飾られている。
そんな去年を思い出しながら秋の気配を滲ませていた庭に出てみれば、今年のルイスも変わらずどんぐりがすきだった。
少しだけ大きくなった体をぴょんぴょんを跳ねさせながら、楽しげにどんぐりを拾い集めていた。
「ことしのどんぐりはほうさくです。まるまるしてて、ツヤもたくさん。まえのときよりもおおきなどんぐりがたくさんある」
幼いながらにどんぐりソムリエのようなことを言いながら、ルイスは一つ一つを吟味しては厳選している。
小さいもの、細いもの、傷があるもの、艶が足りないもの、その他ルイスの価値基準にそぐわなかったどんぐりは、いつか大きな木になりますように、という願いを込めて開けた場所に埋められていた。
そして、ルイスが気に入ったどんぐりは改めてポシェットの中へ大事にしまわれていくのだ。
「ねぇルイス、このどんぐりはどうだい?」
「このどんぐり、おおきくてぴかぴかですね。よいどんぐりです!」
「良かった。じゃあ僕からルイスにプレゼントだよ」
「わぁ、ありがとうございますにいさん!」
「どういたしまして」
ルイスのどんぐり拾いを手伝うため、ウィリアムもしゃがみ込んでは一際綺麗などんぐりを見つけていく。
思った通りルイスはとても喜んでくれて、その手に持っては色々な角度から眺めていく。
「ふふ、にいさんからのどんぐり」
そう言ったルイスはポシェットとは別の、着ていたカーディガンのポケットに大事そうにどんぐりを入れた。
たからものです、と言いながらねこのぬいぐるみを抱きしめてから、またもどんぐり拾いに精を出す。
そんなルイスを見てウィリアムは満足げにその頭を撫でていく。
爽やかな気候の中、のほほんと可愛らしい弟達の姿を見ていたアルバートは、拾ったそれをこっそりとジャケットの中に仕舞い込んだ。
「ふむ…」
どんぐり拾いを終えて屋敷に戻った三人は、一緒に手を洗ってそれぞれやるべきことをこなすために部屋で別れた。
ルイスは乳母による勉強、ウィリアムは読み進めていた本の続きを、そしてアルバートは自室に戻って次の授業に必要になるだろう資料を整理する予定だ。
何枚もの紙をファイルし、タブレットの補足も入れながらプレゼンテーションの準備をする。
そんな中でアルバートは、先ほど拾ったどんぐりを取り出してはぼんやり眺めた。
ウィリアムがルイスに贈ったものよりおそらくは一回りほど小さな木の実。
けれど張りがあってぷっくりツヤツヤしていて、きっとルイスは気に入ってくれるだろう立派などんぐりだ。
アルバートが渡せばルイスは喜んでくれたに違いない。
そうだというのに、どうしてかアルバートはそれを渡すことが出来なかった。
ウィリアムの真似をするのが気に掛かったわけではないし、ルイスの笑顔に興味がなかったわけでもない。
「形の良いどんぐりだな。ルイスもきっと喜ぶはずだ」
何故だろうかと考えてみれば、なんてことはない、ただの見栄なのだろう。
ウィリアムと同じタイミングでどんぐりを贈ってもきっとルイスは喜んでくれたけれど、おそらく感激は薄れてしまったはずだ。
アルバートはそれを無意識に感じ取って、ならば渡すタイミングは今ではないと瞬時に判断したのだろう。
ではいつ渡すのかと問われたとしても分からない。
ルイスの印象に残るタイミングで渡すことが出来れば、アルバートの気持ちもこの素敵などんぐりも報われるのだろうが、そんな都合のいいことがあるだろうか。
「にいさま、ぼく、きょうのテストで100てんとりました!」
今日の勉強を終えたルイスはその足でウィリアムの元へ行き、彼と共にアルバートの元へやってきた。
珍しく興奮したように声が上擦っていて、その言葉通りに嬉しさが全身に渡っているようだ。
「ルイス、今日は文字のテストをしたようなんです。それで、ほら」
「ばぁばにはなまるもらいました」
満点を取ったという末っ子は誇らしくも照れた様子で両手に持った一枚の紙を見せてくれた。
見れば全てのアルファベットが書かれており、そのどれもが不安定な線をしている。
近頃のルイスは確かに一生懸命に文字の練習をしていて、本を読むときも音と文字を照らし合わせていた。
拙いながらも丁寧に書かれた文字はルイスらしく几帳面な様子が窺える。
そしてそのテスト用紙の一番下の部分にはルイスの名前に加え、アルバートの名前とウィリアムの名前が書かれていた。
「ほう。凄いじゃないか、ルイス。満点とはさすが私の弟だね」
「ね、凄いですよね。偉いよ、ルイス」
「ここ、にいさまのなまえです。アルバート、ジェームズ、モリアーティ」
「スペルも間違いなく合っている。自分だけじゃなく、私とウィリアムの名前も覚えていたんだな」
「たくさんれんしゅうして、ちゃんとおぼえたんですよ」
「偉いね、ルイスー!」
「あぁ偉いな、ルイス」
褒めてほしいと言わんばかりに頬を染めるルイスを見て、アルバートはふと思い出す。
望んでいたタイミングこそ、今この瞬間ではないだろうか。
アルバートはウィリアムがルイスの頭を撫でて褒めている横からそっと、小さなどんぐりを差し出した。
「おめでとう、ルイス。これは私からルイスへのご褒美だ」
「どんぐり!まるくてぴかぴかしてて、きれいなどんぐり…!」
「良いどんぐりだろう?喜んでくれるかい?」
「はい!とってもすてきなどんぐりです!ぼく、だいじにしますね!にいさまからのどんぐり!」
ルイスは持っていたテストを放り捨てて、大事に大事にどんぐりを両手に握り締めた。
小さなどんぐりを指で撫でて、嬉しそうに愛でている。
「ごほうび…ぼくがテストがんばったから…」
どんぐりを見つめたルイスはむず痒そうに口元を緩ませる。
その様子を見たアルバートは良かったと安堵するけれど、その安堵以上に驚いてしまった。
「ぼく、ごほうびはじめてです」
はじめてごほうびもらいました、という言葉にアルバートもウィリアムもハッとした。
思えば、ルイスが何をせずとも二人が与えたいだけ何かを与えてきた。
頑張った分だけの対価をもらう経験はルイスには一度もなくて、そもそもルイスが物を欲しがることもない。
秋になればどんぐりを求めているが、冬になればどんぐりのことはすっかり意識の外になるのだから、季節を楽しんでいるだけなのだろう。
頑張れば褒めてもらえるけれど、形として残る何かを得たことはなかったから、努力の対価としてアルバートからどんぐりを貰えたことがとても印象深かったようだ。
アルバートが期待していた以上に感激した様子で、ルイスはどんぐりを見つめていた。
「え、可愛い…ぽやぽや浮かれているのがよく分かる…」
「あぁそうだな…今にも飛んでいってしまいそうだ」
ルイスを見下ろしながら思わず真顔で言った兄達は、感激で浮き足立っている弟がどこかへ行ってしまわないようその肩に手を添えた。
小さな肩は温かくて柔らかい。
「ごほうびのどんぐり、うれしいです。いっしょうだいじにします」
これ、おれいのどんぐりです。
ニコニコと笑うルイスからお礼のどんぐりを渡されたアルバートはこの上ない幸福を感じ、ウィリアムは微笑ましい兄と弟の様子に癒されつつもそこに混ざれない現実を惜しんでいた。
(まさかどんぐりの使い道にあんな方法があったとは…兄さん、さすがですね。僕も負けていられません)
(たまたまさ。ルイスの頑張りを形として評価することがなかったのは私達の落ち度ではあるがな)
(そうですね、盲点でした。今後は気をつけなければいけませんね)
(あぁ。それにしても、ルイスはどんぐりがすきだな。どんぐりのお礼にどんぐりを渡されるとは思っていなかったよ)
(この季節は我が家でどんぐりが無限に行き交いますね。また防虫防腐加工をしておかないと)