「こくおう」ではなく「くにのおおきみ」
母方の祖父は、薩摩藩士で、文武両道に優れた人だった。柔術の元祖として有名な古武術体系である竹内流の免許皆伝を最年少で受けて、嘉納治五郎先生の招きで講道館で柔道を学び、日銀に勤めながら、大阪府警や広島県警などでお巡りさんに柔道を教えた。
子供の頃、この祖父に漢文の手ほどきを受けた。「それで人が斬れるか!」と叱られながら(口答えできないので、「いつ斬るねん?」と思いながら。笑)、剣術等の朝稽古がやっと終わったと思ったら、続けて『論語』などの漢文の素読をさせられたわけだ。
例えば、音読みする際に、祖父から延暦11年(792年)の桓武天皇の「漢音奨励の勅」を習った。平安時代以降、すでに日常生活に音読みが定着している漢字やお経などの仏教関連は呉音で、それ以外は漢音で読むしきたりになったことも習った。
お蔭で、法令の「施行」を呉音で「せこう」と読んで、無教養だと笑われずに済み、漢音で正しく「しこう」と読むことができた。
とはいえ、漢文の初歩の初歩を習ったにすぎないので、お偉い先生方に異議を唱えるのは、畏れ多いのだが、小学生のときに変だなぁ〜と思ったことがある。
小学校で誰もが習う「漢委奴國王」と彫られた金印だ。
学校では、「かんのわのなのこくおう」という訓読みを習ったのだが、「こくおう」という訓読みは間違いであって、正しくは「くにのおおきみ」ではないかと思ったわけだ。
某中学受験予備校の先生に相談したら、「入試に合格したかったら、余計なことを考えずに素直に覚えろ」と言われた。。。
棺桶に片足を突っ込んでいる現在、ど素人が余計なことを考えても、笑って許してもらえるだろう。
まず、古代支那(シナ。chinaの地理的呼称であって、差別的意味はない。)には、「王」という言葉はあっても、「国王」という言葉はなかったはずだ。私が読んだ漢籍にはなかったと思う。
大人になってから調べてみたら、『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によれば、我が国で「国王」という言葉が初めて用いられたのは、「竹取(9C末‐10C初)」なのだそうだ。
次に、漢文では、国名+官名で必ず表記されるので、「漢委奴國王」=「漢委奴國」(国名)+「王」(官名)ということになる。
そして、「王」は、平安時代までは「おおきみ(正しくは、おほきみ)」と訓じていた。
したがって、「漢委奴國王」は、「かんのわのなのこくおう」ではなく、「かんのわのなのこく」の「おおきみ」と訓読みすべきことになる。
さらに、「國」を「こく」と訓読みするのも、間違っていると考える。
「漢委奴國」をどのように訓読みすべきかについては、専門家の間でも意見が分かれているが、ここでは取り敢えず小学校で習った「かんのわのなのこく」を前提に述べると、少なくとも「國」は、平安時代までは「くに」と訓じていたからだ。
以上より、「漢委奴國王」は、「かんのわのなのくにのおおきみ」と訓読みするのがベターではないかと思ったわけだ。
今でも基本的にこの考えに変わりはない。小学生のときからぜんぜん進歩していないとも言えるが。笑
まあ〜大和言葉に統一するならば、「からのやまとのなのくにのおおきみ」・「もろこしのやまとのなのくにのおおきみ」と訓読みするのがよいだろうなぁ〜。
ちなみに、福岡市役所の職員さんの多くが名刺に「漢委奴國王」を印刷しているそうだ。
アホか?
この金印は、文献を裏付ける歴史的価値があるとはいえ、漢に朝貢し服属していた屈辱の黒歴史の証しであり、しかも、奴婢の「奴」を当てて侮辱されているのであって、独立国家たる日本国の福岡市が誇るべき物ではない。中国政府=中国共産党を喜ばせるために、名刺に印刷しているのか。
「漢委奴國王」を印刷するならば、下記のブログに書いた理由から、「日出処天子至書日没処天子無恙云々」(日出ずる処の天子、日没する処の天子に書をいたす。つつがなきや)も、感謝の念を込めて印刷したらどうか。