十二冊目【思想家 河合隼雄】
【思想家 河合隼雄】
著者 中沢新一・河合俊雄【編】
出版社 岩波現代文庫
河合さんは、焼き物を焼く陶工と似ているなと思います。陶工は粘土を造形して、火の試練を加えて、変型していくという作業をする。河合さんの心理療法を見て、心という粘土に対してよく似たことをしていると感じてきました。
本書に収められている、養老孟司さんと河合俊雄さんの対話に出てくる一節です。河合隼雄さんは日本人として初めてユング派分析家の資格を取得し、日本における分析心理学の草分け的存在です。晩年は文化庁長官を勤め、就任期間中に小・中学校にスクールカウンセラー制度を導入されました。なんというか、これだけ聞くとお堅い人を想像すると思いますが、河合さんは同時に冗談が大好きで、「日本ウソツキクラブ会長」を自称されてました。講話がネットにあがってますので、ご興味がある方は是非一度聞いてみてください。大阪のおっちゃん感が出まくりで、なんとも愛おしい方です。
僕が、河合さんの著書を読み漁るきっかけになったのが「中空構造日本の深層」でした。端的に説明すると、日本人は強く引っ張ってくれるようなリーダーよりも、いるかいないかよくわからないようなリーダーを好む。ということです。分かりやすいのが「天皇陛下」です。天皇がどのような意味で我々に対して有益で、我々を引っ張ってくれているか…そんなことを考える人はほとんどいませんが、天皇陛下が近くにお越しになると聞けば、おそらくヤンキーでも「なんかやばくね!」と少しテンションがあがると思います。なんの役にたっているか分からない存在を「象徴」として中心に据えているのが日本の構造です。
例えば、部長がトンチンカンな指示を出してくる…するとすぐに次長が「あの人は現場のことがわかってないからなー。適当にいままでの感じでいいよー。」と、フォローしてくれる。こういったバランスが日本ではうまくいくんです。逆に、部下が失敗して次長から叱られる時には、部長が次長をフォローする、そういう形で相互に役割を補完しあっている。という構造が繰り返し古事記の中にあらわれていることを指摘し、それを「中空構造」と呼びました。
コミュニティにとって中空敵な存在で、日本人に好まれるというキャラクターは映画や漫画の中に多く存在します。「こち亀の両津勘吉」「釣りばか日誌のはまちゃん」はまさに「部長は現場のこと分かってないなー。まぁ適当にやろう!」というキャラクターで支持を得ています。「ワンピースの麦わらのルフィ」も、「ドラゴンボールの孫 悟空」も日本的リーダー(ヒーロー像)の定番のキャラクターです。
そして河合さん自身も中空的な存在を生涯貫きました。そのあり方は禅僧のそれに似ているように思います。禅の研究で世界に知られる鈴木大拙の口癖は「それは、それとして…」でした。「先生○○について教えてください!」と問われても「そうだね。うんうん。それは、それとして…」と、話の軸をずらします。それと同じように、先に挙げた主人公たちも、一様に人の話を聞きません。「勘違い」「早とちり」が物語を進める力として作用するのが日本の物語の中核にあります。落語の主人公も同じですね。お人よしのおっちょこちょいが、偶然問題を解決する。そして彼らは一様に権力や承認欲求を持たない姿で描かれます。日本人が求める理想の人格像は、バリバリ働いて公私共に充実してる完璧な人ではなく、「どこか憎めないやつ」なのではないでしょうか。日本は高度経済成長後に変わったような顔をしていますが、古事記の頃から変わらない構造を維持している国です。
現代社会は、真面目な正義に満ちていますが、それだけでは人は息が出来なくなってしまいます。時には真正面から向き合うことではなくて、合気道のように相手の力の向きを変えるような力の使い方があってもいいのではないでしょうか。日々変化する社会を生き抜く為には「柔よく剛を制す」ということがひとつの道であるように思います。
...われわれは自分の都合の悪いときや本当のことを言うと叱られると思うときなどに、都合のいいことを言うのです。それは客観的に見たら「嘘」をついたことになります。嘘をつかないようにしようとすれば、どんなに自分に都合の悪いことでも飾らないでオープンにしなければなりません。そしてそのことで相手に迷惑をかけたり、いやな思いをさせたなら、謝罪する必要があります。でも、これがなかなか難しいのです。嘘をつかないことと飾らないことは対になっていることなのです。...河合隼雄。