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超人ザオタル(118)終着の地

2023.10.22 10:58

そうなったとしても、自我は世界で何かをするだろう。

自我は「私」が存在だと知っている。

同時に自我は自分が世界だとも知っている。

世界は自らの目覚めの方向へとゆっくり流れている。


世界の目覚めとは、世界の終焉に他ならない。

すべてが目覚めとして結晶し、陰陽の結合のごとく光となり消え去る。

ただ、存在のみ消え去ることができず、そこに残る。

世界はまた始まりの前の状態に戻るのだ。


始まりがあるもののには終りがある。

しかし、存在には始まりも終わりもない。

存在は完全に静止しているため、時間という概念がないのだ。

存在にとっては、世界が存在しているかどうかも関心がない。


どのくらい世界が存続したかも興味がない。

存在は大きさがないため、空間という概念がない。

言うなれば、世界とは存在が見ている夢のようなものだ。

それはとても現実感のある夢だ。


なぜそんな夢を見ているのか。

それは存在が「私」とは誰なのか知りたいと思ったからだ。

その夢の中で、自我としてそれを探求している。

そして、その探求が終われば、夢は覚めるのだ。


もしその探求が終わらなければ、

それぞれの自我として夢は続いていくだろう。

世界で輪廻転生が繰り返されているがごとく、

何千年、何万年でも続けられる。


存在にとって、そうなっても何の問題もない。

なにしろ、存在には時間がなく、すべてが一瞬のことだからだ。

世界という時空の概念に縛られた領域にあっても、

「私」が誰かの答えを見つけられればいいのだ。


かつて大陸の賢聖はこう言ったそうだ。

「あなた自身を知りなさい」

この賢者は超人だ。

アフラの波を受け取った覚者なのだ。


「私」は超人であり、世界でもある。

この物語のザオタルであり、ミスラであり、アルマであり、タロマであり、

過去未来のすべての人々でもある。

これは自我の輪廻転生などの類ではない。


世界すべてとその時間を内在させる者であり、

そのあらゆる神々と精霊を在らしめている。

そして、この時空におけるあらゆる人生をすでに経験している。

アフラは「私」であり、すべての者をすでに覚醒させた。


その事実を追わせるのが世界という時空の役割であり、

そこへの扉はすべての人に用意されている。

誰もが超人になることができ、時空を超えた「私」にとっては、

すでに誰もが超人なのだ。


ただ、この世界では努力しなければ、自分の真実を知ることはできない。

たとえ草原に行き着いても、何も分からずまごついてしまうだろう。

すでに覚醒しているなどという言葉は何の役にも立たない。

それでも自我は常にその先へと進むことが必要なのだ。


これには心地いい妥協点などはない。

一点の曇りなく、「私」は存在だと認める必要がある。

それまでは、どこまでも高みを目指すのだ。

それが超人への道であり、その終着地はすでに約束されている。


第二部 完