過激な仕掛け人・新間寿氏の挫折…UWFの乱
" 過激な仕掛け人"として辣腕を振るい、昭和の新日本プロレスを支えてきた新間寿氏が業界からの引退を表明した。理由は高齢から来る体調問題と、「私が見たいプロレスは今のプロレスにない」としているが、新間氏もマット界の流れについていけなくなったというのが本音だったのかもしれない。
新間氏は猪木体制化の新日本プロレスでモハメド・アリとの異種格闘技戦の実現、WWF(WWE)との提携などで、昭和の新日本プロレスを隆盛の一旦を担ってきたが、その反面選手を見下す言動を取ることもあって、選手から不満が出ていたものの、猪木の後ろ盾があって誰も逆らうことが出来なかった。その絶頂だった新間氏が転げ落ちたのは1983年夏に起きたクーデター事件で、猪木の資金流用を止められなかったとして新間氏は新日本から追放され、猪木も社長から降格され失脚してしまう。
新間氏は新日本に復讐するために「UWF」の設立を決意して最高顧問に就任、猪木や同じく副社長で失脚していた坂口征二、長州力、前田日明を引き抜き、WWF会長の座を利用して新日本からWWFとの提携ルートを横取りし、フジテレビで放送するというものであったが、ところが猪木も坂口もテレビ朝日の後押しを受けて社長、副社長に復権したことでクーデターは失敗、UWFも旗揚げ前から雲行きが怪しくなっていくも、猪木との繋がりは保っており、猪木も「最終的にはそっち(UWF)に移籍するよ」と話し、新間氏も2000万円の移籍金を渡したという。猪木も社長には復権したものの、新日本の主導権はテレ朝に握られていたことから、立場的にも面白くなかったせいもあって猪木は新間氏の言うことに聴く耳を持ったのかもしれない。
ところがフジテレビがクーデター事件で引退していたタイガーマスク(佐山聡)の獲得を求めて来るも、新間氏はタイガーの背後にショウジ・コンチャというマネージャーがいることから、獲得には乗り気ではなく、また猪木からも「コンチャが背後にいるから佐山は絶対に使うな!」と厳命されいた。結局タイガーはテレビ朝日との専属契約まだ残っていたことがわかると、フジテレビにはタイガーの試合は放送することが出来ないことを説明するが、フジテレビはUWFを放送することを白紙に戻して放映は中止となり、それを知った猪木も新間氏との約束を破って新日本に留まった。フジテレビは欲したのは猪木や長州ではなくタイガーマスクだったのだ。
それでも諦めきれない新間氏は「最終的には猪木も合流する」という言葉をフルに活用して前田、ラッシャー木村、剛竜馬を新日本から引き抜き、メキシコUWAから協力を取り付けて新間氏とは近い関係だったグラン浜田も参戦、また猪木が新間氏との破ったお詫びとして高田伸彦、最終戦には藤原喜明も参戦させたが、肝心の外国人ルートは期待されたWWFのルートが協力してくれるはずだったビンス・マクマホン・シニアが病気で倒れ、ビンス・マクマホンに代替わりして新日本との提携関係を継続させたことで、こちらも頓挫に終わり、ジャイアント馬場に協力を求めて外国人ブッカーだったテリー・ファンクを紹介してもらい、ダッチ・マンテルなど中堅選手が参戦したが、なぜ馬場が新間氏に協力したのか、馬場は「業界の秩序を守るため」としているが、馬場全日本も猪木新日本がテレビ朝日に牛耳られていたのとと同じく、日本テレビによって経営を牛耳られており、馬場も面白くない立場であったことから、日テレに対する牽制の意味も込められていたのかもしれない。
しかし新間氏は猪木も参戦せず、WWFからの協力も得られない、フジテレビも放送しないでは勝算はないと考え始め、旗揚げ前から新日本側に接触、UWFとの提携を求めた。新間氏はテレビ朝日から派遣された専務である永里高平氏と話し合い、旗揚げ戦直前で覚書を取り交わした。覚書の内容は
①新日本プロレスはUWF選手に対して毎月2000万円のファイトマネーを支払うこと
②UWFの自主興行には新日本の選手も参戦させる。
③ワールドプロレスリングの枠には5分~10分枠でUWFアワーのコーナーを設け、UWFの試合も放送させる。
④今後一切、猪木へのラブコールは一切しない
⑤UWFのリングは新日本が買い取る。
新日本がUWFを取り込もうとしたのは、新日本正規軍vs維新軍団の抗争は終盤に差し掛かっていたこともあって、新しい展開を求めてUWFとの新しい抗争を始めたかったのと、WWFとの提携は継続させたものの、ビンスが破格なブッキング料を要求したことで亀裂が生じ始めていたことから、WWF対策としてWWFの会長でありマクマホン一家に対して発言力もある新間氏の力が必要と考えていたからだった。新間氏にしてもUWFの選手を新日本で引き取ってくれるばかりか、WWFとのパイプ役として新日本に復権できることから恰好の条件だった。
新間氏はUWF内部の取りまとめをUWF社長であり、新間氏の大学時代の後輩である浦田昇氏に依頼するが、覚書の内容もトップシークレットとされたはずだったが、しばらくするとトップシークレットとされていたはずの覚書の内容が週刊プロレスにすっぱ抜かれてしまう。
週プロにリークしたのは伊佐早敏男広報部長で、UWFのスタッフ選手は新日本に戻ることを拒否、独自で経営を存続することを選択したのだ。伊佐早氏がここに来て裏切った理由は「新間さんはジャパンライフを辞めて暗くを共にしてくれるだろうと思ったら、自分だけ安穏な場所を選んで、俺たちに苦労させるような道を押しつけた』としており、"新間氏は新日本からポジションが与えられて楽な立場になるだろうが、一度新日本を出た俺たちは新日本には戻れるどころか冷たい扱いを受け最終的にはクビにされる"と考えたのだ。新間氏は伊佐早氏はUWFからだけではなくジャパンライフからも給料を貰っていたことを暴露するも、新間氏も自分に恩義を感じているはずの子分に噛みつかれるとは思っていなかった。だがスタッフも猪木どころかタイガーや長州も参戦せず、WWFからも選手が派遣されないなど、絵に描いたプランが見事に崩れたことで、新間氏への信頼が薄れ始めていったのも理由の一つだったのではないだろうか…、
UWFに裏切られた新間氏は新日本とテレビ朝日との合同会見を強行、新日本とUWFは提携を結んだことをアピールするが、浦田氏は新間氏の意志に反して佐山とコンチャと会談、佐山にUWF参戦を求め、コンチャは佐山参戦の条件として「新間氏の退陣」を要求、佐山をどうしても欲しかったUWFのスタッフは血判状まで用意して新間氏に退陣を迫り、新間氏は退陣を余儀なくされた。新間氏は会見では「猪木に支払われた移籍金が回収出来なかった」ことを理由に退陣するも、新間氏からUWFへの恨み言は一切言わなかったが、浦田氏に対してはUWFに出した設立資金の返却を要求しており、最初は分割で支払われるはずが最終的に全額支払われなかったという。そして新間氏が望んだUWFと新日本との提携が最終的に実現したのは、もっと後のことだった。
新間氏はその後ジャパン女子プロレスやFMW、ユニバーサルプロレスリングに関わったものの、結局どれも上手くいかず、猪木とは何度も和解したが現在では再び疎遠、古巣だった新日本からは煙たがれる存在になり、また新間氏も時代と共に変わりつつあった新日本に理解を示さず、ブシロード体制になっても新日本を批判し続けた。新間氏は仕掛け時代に携わった新日本プロレスが自身にとっても一番絶頂期だったが、新日本を去った時点で新間氏の時代は終わっていたのかもしれない。