少女ヘジャル
少女ヘジャル
Hejar,BUYUK ADAM KUCUK ASK
2004年7月28日 テアトル新宿にて 2001年トルコ:120分:ハンダン・イベクチ
トルコ。5歳のクルド人の少女ヘジャル。家族を失い、せっかく引き取ってもらった家もすぐに警察に攻撃され、あっという間に孤立。
同じアパートに住むお金持ちの元判事の老人、ルファトに引き取られることになるのですが、ルファトは頑固にクルド語を話すことを禁じ、また、子供を扱い慣れていない老人、ヘジャルはクルド語しか話せないし、どうしても頑なな姿勢は崩さない。
トルコだけでなくクルド人という問題は根の深いものがあるのでしょうし、政治的な背景もあるとは思うのですが、それを声高に訴えたり説明したりすることなく、ルファトとヘジャル(あとメイドのサキネ)を描くことで、大きな問題提示をきちんとしている映画。
ルファトとヘジャル・・・この2人が本当に頑固同士なんですね。少女ヘジャルは、どんなに物を買ってもらってもルファトへの警戒心をず~~っと持っている。見知らぬ大人がさわろうとすると手をふりはらったり、顔をそむけたりする細かい動作が実に上手い。幼い子供にどんな恐怖体験があったのかは具体的には語られないのですが、「なつかない子供」の頑なさですね。大人に抱かれると嫌がって手をつっぱるところ、呼んでもなかなか来ないところ、身のこなし、頑なな無表情がなんとも猫っぽい。
そしてルファト爺さんも元判事だから、とてもプライドの高い人なのでしょうね、幼い身内でもないクルド人の少女に媚びたり、お愛想言ったりは出来ない、そんな雰囲気が話さなくてもよくわかります。
お互い、トルコ語とクルド語同士で何を言っているのかわからない、意志疎通が出来ないいらいら。ヘジャルが家をうろうろするのをきつく叱ってしまうルファトですが、ヘジャルはおもらしをしてしまう。トイレに行きたいが通じない。
お店で貰ったチョコレートをヘジャルがルファトに差し出すと「盗んだな」と勝手にきめつけてしまう。事実を知って謝っても後の祭り・・・といったすれ違いを繰り返しながら、失敗しながら、近寄って行く「人間同士のつきあい方」を教えてくれるような感じです。
だから簡単なひとつの出来事で2人があっという間に心通わす、ということはないですね。その分、じわじわと近寄っていく時間がかかることの丁寧さがいいです。
2人の他にメイドのサキネと隣人の老婦人、この2人がアクセントとしてよかったですね。
話はちょっとそれて、昔、貿易の仕事をしていたとき、タイに工場を持つ会社だったのですが、絶対に日本語と英語しか話さない、と決めてタイ語なんて必要ない・・・という人がいました。
この人、高学歴で英語が出来てプライド高かったのですが、実際タイ工場の人から嫌われていました。すんなり行く話も相手が理解できない英語と日本語で通そうとするから、誤解やトラブルが多くて、私はそのフォローに泣いたことがあります。
相手の国の言葉を少しでも、あいさつだけでも使う・・・それでどんなに人間関係が、仕事が上手くいくかを実感した・・・そんなことを思い出しました。