昏い海の依り代。
Naoyaです。
今日は二十四節気の18番目、霜降です。稲を刈り取った田んぼに初霜が降りる時期という意味です。そして、今日から蠍座のシーズンになります。
この秋は例年以上に金木犀の香りに満ち溢れているように思えます。うちの周りにはたくさんの金木犀が植えられていて、このくらいの時期になるといい香りがするのですが、この秋はいつも以上に香りが強く感じるのです。窓を開けるだけで香りが部屋の中までしてくるし、外に出ると空気の匂いが金木犀そのもの。花の香りが強まっているのか、自分の嗅覚が敏感に研ぎ澄まされているのか。それはよくわかりませんが、昼も夜もいい香りで満ちていました。そんな金木犀の香りもあっという間にしなくなります。
昼の時間が日に日に短くなり、夜の時間もだいぶ長くなってきました。ひんやりとした夜の空気に漂う金木犀の香りは現実の境界線をあやふやにしながら、不思議な世界へといざなうかのように思えます。夜という領域は閉鎖的でありながらも、自分の深い部分へと旅をさせてくれる時間だと思っています。夜の時間を過ごす自分は、まるで昏い海にそっと浮かべられた小さな舟のようです。どこに辿り着くのかは想像できないし、むしろそういうつまらない想像はしていません。
毎年、誕生日が終わるとさらに秋が深まっていくのを感じます。秋は自分にとって一年の中で、もっとも孤独の時間を心地よく過ごせる季節だと思っています。「読書の秋」と言われて秋の夜長に読書に没頭できるのは、そういう所以なのではないかとも思えるのです。
孤独というものをネガティヴに捉えている人にとっては単に寂しい、退屈、物足りないという感じにしか思えないでしょうが、孤独の時間から見えてくるもの、得られるものはどこか崇高で、極めて純度の高い自分だけのエッセンスだと思っています。ずっと誰かと一緒にいる人、あるいは誰かといないと自分が成立しない人、他人に依存し切っている人だと、こういうひらめきやインスピレーションを降ろすための「依り代」のようなスペースを自分の中に持つことは難しいでしょう。誰かと共に過ごす時間も素晴らしいものですが、それと同じくらい孤独な時間も、人がより成長していく上で僕は大切だと思っています。
この「森羅万象の聲」を綴っている時間も、僕にとっては孤独な時間です。自分で感じているそのときの思いを勝手にひとりで吐き出しているからです。誰かに読まれても読まれなくても、自分の漠然とした思いを明確に言語化することだけで、十分に意味があると思っています。この場が自分の「依り代」に降ろすきっかけのような役割を果たしてくれているかのように思います。
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