『自分の限界とは、自分のイマジネーションの限界のことである』
人間が想像できることは、人間が必ず実現できる 。
この言葉は空想科学小説の父「月世界旅行」を書いた、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの言葉です。
皆さん月世界旅行は読んだことがありますか?
「月世界旅行」は、大きな大砲の弾に人間を乗せて飛ばすという何とも非現実的なお話ですが、この小説が後のアポロ計画に影響を与えたと示唆されるほど影響力が強かった事は言うまでもありません。
何故ならこの小説が書かれたのは明治時代、まだ宇宙というものの論理が解明されていない文明開化の時代だからです。 ヴェルヌが空想で生み出し想像で作り上げた小説が時を経て、数十年後には本当にアポロ計画の有人飛行成功というかたちで実現しました。
ヴェルヌは、そのほかにも「地底探検」、「海底二万マイル」、「八十日間世界一周」、「二年間の休暇(十五少年漂流記)」などを執筆しており 地球上で最も多く翻訳された小説家として有名です。
そのヴェルヌの言葉、
人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。
とても感銘を受けますよね。
さて、人間は良くも悪くも自分の思った通りの人間になります。
ということは自分がどんな人間なのかを想像した瞬間から、あなたはその様な人間になっていくということです。
自分の限界を自分で作らないために一度自分という人間を考えて見る必要があります。
例えばあなたは「自分は文系だから数学が苦手だ」と思った事はありませんか?
実は、脳機能学の教授によれば脳には文系も理系もありません。
数学ができないのは、これまであまり数学をやってこなかったから。
ただそれだけです。
あるいは学習過程のどこかで「私は文系だから数学は苦手なんだ」と思い込んだのでしょう。
もしくは、両親から「お父さんもお母さんも文系だからお前が数学できないのも仕方ないな」と言われたことがあるかもしれません。
こんな言葉を聞けば、「私が今、数学ができないのは両親のせい。素質がないからできなくて当然」と思ってますます学習しなくなってしまいますよね。
こうやって人間は自分で自分を想像し限界を作っていきます。
問題はこの限界が自分の能力の限界ではなくて自分で自分に作った限界だと言うことです。
本当はもっと能力があるのに、「私はこれぐらいでしょう」と自分で自分に枠をはめて能力の成長を強引に止めてしまっています。
私は「自分の限界とは、自分のイマジネーションの限界のことである」と思っています。
簡単に言えば、人間は良くも悪くも自分の思ったとおりの人間になると言うことです。
これほど、もったいない事はないでしょう。
あなたには、大抵の事は可能にする能力が備わっていますよ。
ですから、「私はどんなことでもできる」と思ってください。
そうすれば、必ずできるようになります。
こんな風に言うと「いや、そんなことは理想論で、現実問題できない事はあるはずだ」と反応する人が必ず出てきますが。
人類の歴史を振り返れば、大抵のことができるようになっていますよね。
火を自由に操り、空を飛び、宇宙に行く。これらは紛れもなく現実の歴史です。
これから先も人類は想像したことを実現させていくでしょう。
ところが、現実現実と口走る人はそういった現実を見ようともしないで、「できない」理由ばかりを挙げていきます。
「できない」を口癖のように言う人を見れば、反対の意味で「自分の限界は自分のイマジネーションの限界」というのがよくわかるはずです。
彼らは自分で作った限界の中で判断し、不平を言い、ときには他人の手を引っ張ります。
彼らのようになりたくはないですよね?
それとも自分の能力をフル活用して、イマジネーション赴くままに理想を実現化させたいですか?
もしさせたいなら、それは可能です。
イマジネーションの限界を決めなければ、なんでも出来るのです。
「こうなりたい」自分が今いるかいないかは関係ありません
「こうなりたい」と思った自分になって行く、それだけ忘れないでください。
月世界へ行く
186X年、フロリダ州に造られた巨大な大砲から、アメリカ人とフランス人の乗員3人を乗せた砲弾が打ち上げられた。ここに人類初の月旅行が開始されたのである。だがその行く手には、小天体との衝突、空気の処理、軌道のくるいなど予想外の問題が!19世紀の科学の粋を集めた本書は、その驚くべき予見と巧みなプロットによって、今日いっそう輝きを増すSF史上不朽の名作である。