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臍帯とカフェイン

「月光の巨人」(0:0:2)

2023.10.25 12:49

【配役】


雫:しずく


桐生:きりお

 : 

 : 

 :「月光の巨人」

 : 

 : 

雫:(モノローグ)

雫:人の頭を撫でた経験の無い私は、

雫:あなたが私の頭を撫でていた時の

雫:手つきや、触れ方、温度を真似して

雫:私の腕の中に納まる貴方の頭を、鯨の鬚(ひげ)を梳く(すく)かのように

雫:しゃらりと撫でる。

雫:その指の隙間に絡まる貴方の髪の毛すらも愛おしく、

雫:どこまでも世界は続くのだと、私は酷く安心をしたものだ。

雫:夜の風が吉祥寺の空を透明にしていく。

雫:何もさえぎる物の居ない、月の光りは、まるで月光の巨人と呼べるほどに

雫:大きく、巨大で、それだけで私はもう充分だと思った。

 : 

 : 

 : 

桐生:今日も機嫌が悪そうだね

雫:そんなことない

桐生:そうかな、どことなくいつもよりも剝れてる(むくれてる)気がする

雫:余計なお世話。

桐生:どうしたら笑顔になる?

雫:……わかんない

桐生:わかんないかあ

雫:わかんないよ

桐生:じゃあしょうがないね、コーヒーでも飲む?

雫:飲む

桐生:はいはい、ミルクは?

雫:いらない

桐生:いらないんだ?珍しい

雫:いいでしょべつに

桐生:はいはい、機嫌悪いんだったね

 : 

 : 

雫:(モノローグ)

雫:なんとなく一緒にいて、なんとなく身体を重ねて

雫:なんとなく、恋に落ちたような関係になっていく私たちは

雫:きっとどこかの誰かに後ろ指を指されても仕方のない関係で。

雫:私の心はいつも何かに苛立ちを覚えて、

雫:彼は、それを知りつつもどこか飄々と知らないフリを続けていた。

 : 

 : 

桐生:あちち

雫:大丈夫?

桐生:大丈夫、ちょっと火傷したかも

雫:ちゃんと冷やさないと水ぶくれになっちゃうかも

桐生:大丈夫だよこれくらい

雫:でも

桐生:心配性

雫:じゃあもう心配しない

桐生:ごめんって

雫:知らない

桐生:ねえ、昨日はさ

雫:……うん?

桐生:うまく、眠れた?

雫:……全然

桐生:あらら、駄目だったか。

桐生:こっちのベッド、来ればよかったのに。

雫:絶対いや

桐生:なんで?

雫:絶対セックスするでしょ

桐生:そりゃまあ

雫:絶対いや

桐生:なんでよ、嫌いじゃないでしょ?

雫:嫌いじゃない

桐生:じゃあ、いいじゃん、ウィンウィンってやつ

雫:そういう問題じゃない

桐生:どうして?

雫:嫌いじゃないけど、好きじゃないセックスなんてしたくない

桐生:「嫌いじゃない」は「好き」でしょ

雫:全然違う

桐生:わっかんないなぁ

雫:わかってくれなくてもいい

 : 

 : 

桐生:(モノローグ)

桐生:彼女と出会ったのは、本当些細なすれ違いが呼んだ偶然、

桐生:なんてロマンチックなものでもなく。

桐生:お互いの傷を舐めあう為に、SNSに書き込むというアングラな

桐生:運命の糸だった。

桐生:なんとなく一緒に居て、なんとなく毎日を過ごして

桐生:それでも、お互いの傷の位置と、そしてそのお互いの傷の舐め方を知ってしまったから

桐生:僕たちは深く深く、何度も繋がっていた。

 : 

 : 

雫:あと何日くらいなの?

桐生:うーん、何日くらいだろうねえ。

雫:決まってないんだ

桐生:そりゃあ、なかなか踏ん切りつかないよ。

雫:まあ、簡単なことでは、ないもんね

桐生:そりゃあ、ね

雫:でも、決めたんでしょ

桐生:うん、決めた

雫:……なら、私は何も言えない

桐生:ありがと

雫:……

桐生:俺の荷物はさ、好きにしてくれていいよ

桐生:そんなに高く売れるものばっかりじゃないかも知れないけど

雫:傍に置いておかなくていいの?

桐生:なにを?

雫:ほら、大事な絵筆とか

桐生:持ってくわけないじゃない、それが原因なのに

雫:それも、そっか

桐生:うん、あ、でも

雫:なに?

桐生:君の肖像画くらいは、傍に置いてもいいかな

雫:なにそれ

桐生:そのままの意味だけど

雫:気色悪い

桐生:ちょっとちょっと、言い方

雫:気持ち悪い

桐生:意味同じだよ

雫:「今から死のうってしてる人間」の傍らに置かれたくない

桐生:そっか、残念

 : 

 : 

桐生:(モノローグ)

桐生:そうして、気持ちいい所も、痛い所もわかった頃

桐生:僕はずっと頭の隅にあった一つの計画を思い出す。

桐生:それはなんてことない、ただ一つの願望で

桐生:そこに理由なんてなく、そこに大義なんてなく

桐生:ただただ、もういつだって全てを終らせてしまいたくて

桐生:どうにもならない焦燥感や、それをどうするわけでもない自身の

桐生:臆病さも、滑稽さも、悲しさも、不甲斐なさも

桐生:そして、自身を愛し続ける事ができなかった申し訳なさと。

 : 

 : 

桐生:そういえば、止めないんだね。

雫:止めたいよ。

桐生:あ、止めたいんだ。

雫:止めたいよ、そりゃ。

桐生:じゃあ、なんで止めないの?

雫:止めてほしいの?

桐生:いや、そういうわけでは。

雫:……いやだ。

桐生:うん。

雫:いつもヘラヘラして、なんでもないみたいな顔してる。

桐生:うん。

雫:お父さんから、何度も電話が来て、すごい怒号が受話器から聞こえてくる時も

桐生:うん

雫:夜中、何かに魘される(うなされる)みたいに飛び起きる時も

桐生:うん

雫:私が目玉焼き焦がした時も

桐生:うん

雫:うまく、セックスできなかった夜も

桐生:うん

雫:いつもヘラヘラして、なんでもないみたいな顔してる。

桐生:うん。

雫:だから、いやだ。

桐生:そこ?

雫:そこ。

桐生:死んでほしくないとかじゃなく?

雫:私じゃ、貴方の傷を舐めてあげることはできなかったんでしょう

桐生:違うよ

雫:違う?

桐生:うん、違う

雫:じゃあ、なんで?

桐生:ちゃんと、舐めてくれたからだよ

雫:ちゃんと?

桐生:うん、ちゃんと、僕の傷を舐めて、そこに傷があるっていうのを

桐生:何度も確かめさせてくれたから、だからもう、十分だって思った。

雫:わからないその感覚

桐生:そうだよね

雫:うん

 : 

 : 

雫:(モノローグ)

雫:人の頭を撫でた経験の無い私は、

雫:あなたが私の頭を撫でていた時の

雫:手つきや、触れ方、温度を真似して

雫:私の腕の中に納まる貴方の頭を、鯨の鬚(ひげ)を梳く(すく)かのように

雫:しゃらりと撫でる。

雫:その指の隙間に絡まる貴方の髪の毛すらも愛おしく、

雫:どこまでも世界は続くのだと、私は酷く安心をしたものだ。

雫:夜の風が吉祥寺の空を透明にしていく。

雫:何もさえぎる物の居ない、月の光りは、まるで月光の巨人と呼べるほどに

雫:大きく、巨大で、それだけで私はもう充分だと思った。

 : 

 : 

 : 

桐生:ずっと、心の奥の方で燻ぶり続けていた「潜熱」なんだよ。

桐生:この気持ちって。

雫:「潜熱」。

桐生:そう、現れたりすることもなく、ただいつも奥底でぐずぐずに燃えて

桐生:燃えるたびに酷く腫れあがるんだ。

雫:うん

桐生:でもそれをさ、君と何度も肌を重ねて

桐生:「毎日」というのを過ごして

桐生:誰かを大切に思うということ、一緒に時間を過ごすという事

桐生:たくさんの、今までには絶対にありえなかった時間の使い方をして

桐生:自分のどこに、その熱が潜んでいるかがわかって

桐生:この、「愛しい気持ち」のまま、終わりにしたいって思った。

桐生:ああ、死ぬには良い日って、こういう事なんだな、って。

雫:私も一緒に死ぬ。

桐生:……

雫:一緒に死ぬ。

桐生:それは、雫の本意ではないでしょ。

雫:どうして?本意じゃないなんて言えるの?

桐生:雫は「生きたい」人だよ。

雫:そんなことない。

桐生:俺のわがままに付き合って死ぬ事はないんだ。

雫:そういうんじゃない。

桐生:俺を止めるために、そう言ってるんだったらそれは無意味で……

雫:(割り込むように)生きる事も!死ぬ事も!勝手に決めないでよ!

桐生:……

雫:いっつもそう、わかった風で話すけど一番大事な所は見てみないふりする

雫:「生きたい」「死にたい」とかじゃないんだよ

雫:ただ「一緒に居たい」って言ってるだけ

雫:ただそれだけ。どこでだって生きていけるし、どんな風に死んだっていい。

雫:でもそうやって、「独り」にしないでよ!

桐生:……

雫:ねえ、桐生。

桐生:月の光りにはさ、巨人が住んでると思わない?

雫:……は?

桐生:昔からさ、狂ってしまうことを「ルナティック」って言うじゃない

雫:なんの話?

桐生:「ルナ」って月の事なんだよね

雫:それは、知ってるけど

桐生:狼男とかさ、狂人とか、全部全部、月の照る夜なんだよな

雫:……

桐生:きっと月にはさ、月の光りには、どうしようもない……

桐生:どうしたって、抗うことなんてできない、巨人が住んでいてさ

桐生:その巨人が、踏みつぶすんだ。

雫:……なにを?

桐生:「心」を。

雫:……

桐生:そう。本当はもっともっと、惨たらしく、汚らしく死ぬつもりだった。

雫:……

桐生:でも、雫。君が整えてくれたんだ。

雫:やだそんなの。

桐生:でも、そうなんだよ、君が、ちゃんと僕を人間にしてくれた。

桐生:だから、人間として死のうって思えた。

雫:人間として。

桐生:うん。

雫:……生きてよ、人間として、一緒に。

桐生:……

雫:そんなよくわからない話ではぐらかさないで!

雫:私、私は、貴方を死なせたくて、何度も、愛したんじゃない

雫:貴方を、そうやって、終わりにしたくて、一緒に暮らしたんじゃない

桐生:わかってるよ、これは僕のエゴ

雫:そう思うなら、そう思うなら!

雫:私の我儘も聞いてよ、私のエゴにも付き合ってよ

雫:そんな、そんな悲しい事を、私に置いていかないでよ

桐生:ごめん

雫:一緒に水族館に行こうよ

桐生:うん

雫:プラネタリウムでもいい

桐生:うん

雫:にせっこの星の、月の光りになら、巨人なんて居ないよ

桐生:うん

雫:そのあと、恥ずかしいけど、手を繋いだまま

桐生:うん

雫:生キャラメルの、ソフトクリームとか食べて

桐生:うん

雫:プラネタリウムで、後半居眠りして、内容覚えてなかった話とか

桐生:うん

雫:夜ご飯は、久しぶりにグラタンが食べたいとか

桐生:うん

雫:ホワイトソースを作るのが面倒だとか、やっぱり外食がいいとか、喧嘩して

桐生:うん

雫:それで、そうして、夜、どっちかのベッドに潜り込んで

桐生:うん

雫:自然と、おでこや、首や、腕にキスしながら

桐生:うん

雫:ごめんねって、謝りながら

桐生:うん

雫:相手の好きなところを、好きなように触って

桐生:うん

雫:たくさん、解して、いっぱいにおいを嗅いで、そこにいるんだって、

桐生:うん

雫:そう、そう思えるような、そんな日々を、過ごしてよ……

桐生:……

雫:過ごしてよ、一緒に

桐生:「そうしたかったよ、僕も。」

 : 

 : 

桐生:(モノローグ)

桐生:たくさん泣きじゃくりながら、僕の事を見つめる雫を

桐生:とても綺麗だと思ったし、死ぬなら、雫の隣で死にたいと

桐生:なおさら思えた。雫の瞳の中に、月光が見える。

桐生:僕は、雫の肌の温度や、髪の細さ、後頭部の丸み

桐生:そして、その「月光」を思いながら、台を蹴り捨てる。

 : 

 : 

雫:(モノローグ)

雫:人の頭を撫でた経験の無い私は、

雫:あなたが私の頭を撫でていた時の

雫:手つきや、触れ方、温度を真似して

雫:私の腕の中に納まる貴方の頭を、鯨の鬚(ひげ)を梳く(すく)かのように

雫:しゃらりと撫でる。

雫:その指の隙間に絡まる貴方の髪の毛すらも愛おしく、

雫:どこまでも世界は続くのだと、私は酷く安心をしたものだ。

雫:夜の風が吉祥寺の空を透明にしていく。

雫:何もさえぎる物の居ない、月の光りは、まるで月光の巨人と呼べるほどに

雫:大きく、巨大で、それだけで私はもう充分だと思った。

雫:「月光の巨人」が、心を踏みつぶしていく。よ