死を受け入れること

2018.09.15 16:11




倫子ことelenaです



お友達だちとの

メッセージのやりとりで

気付いたことがあります



InstagramやFBページで

愛犬の介護について

けっこう

ストレートに描いています



わたしは

今まで

あまり

このような投稿は見なかった






おそらく

みなさん

秘かに

向き合って

乗り越えてきているのかな?と

思います

(違っていたらごめんなさい)


わたしが

ここで書いていくことも

意味があるんだろうなと

思っています


正直

介護

大変です


わたしは

父は

肺がんとわかり1年で

他界したし


オムツも

1週間もせず

入院も2日でした


母が頑張っていてくれた

おかげなんです


あと

父が自然死を受け入れたから



延命をせずに

逝くと決めた人の

生きざまをみせてもらいました



父が他界した翌日




「人間は生に執着をもつ」




という言葉がきました





割りきっていた父でさえ

いっぱい

想像をこえる

父なりの

自分との闘いがあったから




まるで

父の分も

わたしは

今 介護をしている感じ.。o○



小さい体だから

人と違い

楽なのかもしれないけど


犬も

人と同じような病気になります

食べ物がよくなったぶん

長生きですが

癌や痴呆にもなります


うちの犬は

痴呆もないし

目も見えていますが

前立腺、膀胱、

皮膚に腫瘍があります


膀胱の腫瘍で

頻尿で頻便です

気持ち悪いから

ただ

きばるのです


ほっておいたら1〜2時間

とぼとぼ

家の中を歩きながら

きばります






7月の終わりに

一番細いカテーテルも

尿道に入らず

膀胱に尿がたまり

もう長くないかもって

覚悟したのに


腫瘍は増殖しているのに

尿は溜まらずでていて

毎日血尿だったのが

今はほぼ目視では

わからない状態です


ちなみに

わたしは

特別に

病気が治るようにとかの

ヒーリングとかもしていません


この子の体に

全て任せています


最近は

下痢の便を

補助しながら

出しています




皮膚の腫瘍は

自壊し壊死しだし

匂いがきつい

正直

この世のもとのは

思えない状態だけど

傷口を保護することに

つとめています


一時期

自分との内側との闘いもありましたが

排便の世話をしていると

ほとんど寝れないので

今は

オムツをはかせたて

ゲージで一人で寝かせています


一緒に寝ていたbedに

のぼれなくなったのを

自分がよくわかってるので

もう抵抗はしません


ごはんは

噛む力がないので

水に溶けたフードを食べています


体重は

生後3ヶ月の頃をきり

骨と皮だけ

ちょんと押すと

倒れます


体重は2.4キロに

チワワくらいかな〜


そして昼間はトイレ以外

自らゲージに入り寝ています



犬は

元気でも

自分がこうしてほしいとは

言葉にできません


治療は

飼い主が判断します


うちの子は

15才だし

心臓に軽いけれど弁膜症があるので

手術は最初から考えていませんでした


それでも

いろんな選択に

迫られる時があり


わたしは

もうこの段階では

一人で判断しきれないので

病院は旦那さんと必ずいきます


まあ

そんな状況なのです






お友達との

メッセージのやりとりで



「介護する側が元気じゃないとと言うのは

本当にそうだと思います。

良くも悪くも影響し合うので

自分の状態を良くしておくって大事だし

自分が満たされてないと

優しく出来ないですもんね」



って言葉をきいて


お互いが
死を認め
穏やかな気持ちになった時に


この子の魂は
肉体から
離れるのだと感じたの



この子のmessageが

うけとれる数人の人から

この子は

もういついくか

決めていると知っている


わたしは

すでに

「いかないで!死なないで!」っていう

執着は手放しているつもり


この子のタイミングで

肉体から離れてほしいと

思っています





わたしは

もともと死に対して

あっさりしているところがあり

父の時もそうだった。。。



わたしの一部は

父の癌がわかった時から

徐々に

わかっていることがありました

父の魂が何を決めてるのかも

いつ逝くのかも



でも

感情をもつ人間の私は

涙が止まらないことが

多かった


だから

とにかく

私の

父への生への執着を

手放したし

家族にも伝えたのです


それが

消えた時


父自らが

生への執着を

手放した時に

父は父らしく

一人で逝ったのです




そんな

経験をしても


穏やかに向き合うのは

まだだったのかもなぁ


あれから

2ヶ月

もちなおしている

この命



パパとママの誕生日と

自分の誕生日を

迎えたかったようです💗


(この2ヶ月の中に集約)



その間に 

父のこともあり

私は本当に大切な人の死に対して

向き合うことができました


日々

弱っていく

この子をみながら

覚悟もできていっています


きっと

7月に

あのまま.。o○

なんてことがあったら

ほんと

きつかったと思います



父とこの子が

相談しているのも

想像つくしね( *´艸`)



今までは

この子のために

できるだけ

傍にって

外出すら

避けていました


でも

ひたすら

寝ているこの子をみて

うまく

自分を

解放していいんだなって

思ったの


数時間なら

大丈夫って。


わたしが

この子をおいて

でかけることがあっても

大丈夫。






そんな

信頼の中にある

穏やかさが

私の中に

安定するようになったら


きっと

その時が

くるんだろうな



大切な存在の

死に向き合うタイミング、年齢は

人それぞれ


その人と

その人との間にしかない

関係性や思いがあります


それは

ゆるぎないもの


それを穏やかに

感じることができたら

素敵だな



そして

その関係性の

本当の深さは

その時を迎えないと

わからないのだと思います



それが


死を受け入れることのような

氣がしたの



死と
むきあうことは


生と
むきあうこと






これは

父が他界した後に

魂領域から

私にmessageをくれた言葉




死はこわくない


生の証だから.。o○

































elena こと 倫子