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キャンピングカーで日本一周

9月16日 一関市室根町→気仙沼市(リアス・アーク美術館)→登米市(74km)

2018.09.16 22:27

今日も晴れ。眼前に横たわる室根山も美しく映える。

道の駅「むろね」には、屋内に石のテーブルセットや長椅子などが配置されている。

という事は、この町のウリは石に違いない。そんな事を考えながら周辺を眺めてみる。

敷地の庭で石のテーブルを発見。更に奥にも何かある。

これは、売り物らしい。室根石っていうんだ。でも、随分控えめな売り方。施設中心部から100m近く離れている。

その手前では、おじさんが刃物研ぎの店を出している。


どうやら、この駅はフリーマーケット的な憩いの場所になっているらしい。

日曜日の朝だからか、施設も開店時間前には入り口に人だかりが。


満車とまではいかないが、混雑してきたギリギリのタイミングで出発する。


今日は、気仙沼市へ向かい、まずは郊外にあるリアス・アーク美術館に行くことに。



ここは1994年開館の美術館だが、東日本大震災のあとは「東日本大震災の記録と津波の災害史」を常設展示としている。


気仙沼市と南三陸町の被災直後の写真と被災物の展示が主であるが、これらは震災後2年間に、美術館が独自に撮影・収集したもの。撮影者が撮影時に感じたこと、考えたことが文章として添えられている。

津波で周囲一面押し流されたなか、小さなビルや電柱などがポツンと残されている写真。高台にある神社に軽自動車が頭ごと突っ込んでいる写真。巨大な漁船が横なぐりに流されている写真などなど。


日本有数の漁港である気仙沼港。カツオなどの魚の加工施設では、被災後に膨大な量の魚が腐敗し、街中に悪臭が漂った。その発生源である加工施設に直接入った撮影者は、「二重のマスクを被っても想像を絶する臭気だった」と書いている。



江戸時代など、過去に襲った津波の被災状況を描いた絵の展示も。

地震、津波は繰り返し、この地を襲い続けている。それを一つの「地域文化」として捉え、生活の中にそういった意識を定着させていかなければならないのではないか、と問いかけている。



後世へ伝承するために設置された石碑が倒壊。ここの地名は「波伝谷」であった。



過去の浸水地域を知らせていた標識。


そして、新たに設置された標識。

この標識を上回る津波が来ないという保証はない。



展示物の中で、重い言葉に釘付けになった。「被災者・・・権利と責任」。 

被災者には好きな場所に住まう権利が認められている。だが、それと同時に

自らが選択し定住を決めた以上は、自己責任として、被害や損害は引き受けていかなければならないのではないか、また、そういった状況に陥らない為に、地域の再生の為に、今何をすべきなのか。


この地に生きる人々への覚悟を問う内容だった。



美術館では、このほか常設展示として「方舟日記〜海と山を生きるリアスなくらし」がある。漁業を中心とするこの地域の産業と食生活を、漁具やパネル、民具などを通じて理解できる内容で、学芸員の手書きのパネルが親しみやすく、展示方法もよく工夫されていると感じた。他に、気仙沼・南三陸町にゆかりのある芸術家の作品を展示するギャラリーもあった。



美術館を出て、車は気仙沼港へ。

ここには、震災直後、漂流物で埋め尽くされていた辺りではなかろうか。


のんびりと魚釣りを楽しむ姿も見られ、震災の面影はない。



昼は、近くにあるお魚いちばにあるレストラン「鮮」で、人気メニューの海鮮丼をいただく。

並び始めてから食べるまで1時間ほど待ったと思う。「会えない時間が 愛育てるのさ〜♪」ではないが、待ち時間も前菜だったのではないかと感じられる。

「待ってて良かった〜〜!」と心の底から叫びたいほど、美味い‼︎


今まで食べてきた海鮮丼や刺身は一体なんだったのだろう?と思うくらい。


マグロやカジキマグロ、ハマチ、イカなど一片一片が甘く脂がのっていて、「毎日一食これを食べて、あとは何も食べなくてもいい」と Y。


その後二人は、無言で味わうことだけに気持ちを集中させたのであった。




市内をぐるりと回っているうちに、気がつけば陽が傾き始め夕方近くになってしまったので、南三陸町から少し内陸に入った登米市にある道の駅「三滝堂」に宿泊することに。


近くの田んぼでは、稲の収穫が始まっていた。