昨日は24年のパートナーの葬儀に行って来た。
前にも説明した24年来のビジネスパートナーのカルロス医師の実家で行われた葬儀に出席した。 http://www.munetomo.club/posts/4879726
実家は北高速道路で50kmのサンフェルナンドを左に降りてオロンガポ(スービック)に行く国道を20kmnoLUBAO(ルバオ)、アロヨ元大統領の実家のグアグアの先の街である。BGCの家を5時に出て途中で朝食をとったが7時には着いた。彼女は前にも言ったが彼女は以前このパンパンガ州の病院の副院長であった。古いが威厳のある広い実家で行われている葬儀、うちの社員4名と彼女のスタッフ7名とか、勿論彼女の家族が全員集まっていた。朝9時に出棺で、近所の教会で最後のミサが行われで墓地に葬られる。良き友よ永久の眠りに幸福有れ。
しかしびっくりした事はその近所の協会がセントオーガスチィン たしか39の支店協会が全国にあり、マニラのイントロムロスにある本部教会は、私も好きなのだが、1569年に着工1603年に完成した世界遺産。ここに収められる万を超える品々は見応えがある。
元々カソリック教会本部のバチカンが、宗教とか清いとかは別として、マネーマターとして稼いだ金の10%を毎週日曜日の礼拝で寄付をする仕組みのお蔭で、膨大の富を持った事から、それを世界に広めようと考え、そこに乗ったスペインがその豊富な資金を使い、世界戦略に乗り出した結果、アジアではフィリピンを手中に収めたし、南米やその他を侵攻した。スペインは必要な金はバチカンから貰い、略奪品はスペインのもの、しかし住人からの税金とも言える寄付は教会が行うとい仕組みを作り上げた。そのフィリピンに於ける教会作りは最右翼のイエズス会派のセントオーガスチィンが行ったし、アジア全体の統括本部で有ったようだ。
いかし貨幣経済が無い地域での布教活動は大変で有ったようだ。その為シンパ作りから、その教育、産業の育成と行ったようだ
それが故にセントオーガスチィン教会のある地域は、文明が栄え、教育レベルも高い地域と言える。故に隣町のグアグアからアロヨ大統領が生まれたとも考えられる。アロヨ氏も市長時代はカルロス医師によると、朝5時から執務に当たっていた様だ。それがピナツボ噴火で廃虚となり、今でも活気がある街とは言いがたい現状がある。フィリピンのカソリック教徒は同じキリスト教の派の中では既に40%近くしかいない。カソリックのこの式典に出席してもなにか物足りなさを感じる。雑感