幸福感と今 後編
幸福感と今 後編
前記事では便利になることは必ずしも幸福感には繋がらないということを書いた。
ここでは過去の時代と照らし合わせながら掘り下げてみようと思う。
今、文章をえんぴつで書くということは大幅に減った。
友達と会わずとも携帯を通して常に繋がっていることで人と人はもっと濃密なコミュニケーションを取れるようになった。
ラブレターなんか書いたり、家に電話してドキドキみたいなことは無くなり、”入力“し、インターネットの海に出力することで好きな人にも間接的に連絡する。
さらにsnsを見れば会話せずともその相手が何をしているのか分かる。
がんばって仲良くなって、電話番号を交換し、夜な夜な家電話を占領するみたいな事はドラマの話になった。
特別感 みたいなものが減ったのだと思う。
九州も東京も 北海道も はたまたヨーロッパ アメリカ といった地球どこにいても得る情報は変わらなくなった。
グローバル化グローバル化と便利を追求した結果ローカルが弱くなり、ITの恩恵を受けずして生活できなくなった。通販により町の商店や本屋は軒並み潰れた。
敷き込まれたプラットフォームに支配された世界。
なにか考えて考えて問題を解決するということは必要なくなった、
遊ぶものはスマホにあるし、興味を引くものはYouTubeに無限にある。
企業はいかに楽なサービスを提供するかの勝負だ。
ユーザーはどんどん楽になる。
人はそもそも知性のある生物だ、身体能力はさほどないが、道具を使い、作り、仲間と協力し生き残ってきた。
知を開拓する本能があるのに、考えなくて良い世界になっている。
自分で考えることは、解決出来たときの達成感や特別感が大きい。
生活することは誰もが一定水準になり、自由になにかをする時間は増えた。
これはもはや
国民総アーティストの時代。
マスによる同調圧に流されつづけた人は主体性を失う。
この思考停止で生活できる環境で漂流し続けてやりたいことは出てこないだろう。
これからは主体性が大事だ。何かをしたい、行動する人が強い。
知を開拓する本能を満たし、それをバネに行動し続ける。
同調圧を植え付けるマスメディアや近代的教育を逸脱するために知を付けよう。
テレビを当てにするな、
年収はいくらとか、この別荘はいくらとか。そういった拝金をやめよう。
幸福探しはしなくていい。SNSは人の幸福な部分が切り取られたコンテンツだ。
人の幸福が可視化されているからこそ、僕たちは幸福を探すようになったと思う。
話がずれた気がするけどとりあえずここまで、、
知をつけよう。
2018 09 17 shin