俺のヤングマシン図鑑!【ストリートバイカー編】
1980年代から2000年代にかけて、若者たちに絶大な支持を受けたモデルを筆者の体験を交えつつ紹介。元気で、ルックスがキマっていて、ノリが良くて、ハッタリが効いて、できれば安くて……時代を彩った“ヤングマシン”は若者たちを映す鏡でもあった。
(『MOTO NAVI』2017年10月号に掲載されたものをWEB用に加筆・修正)
Part.4「ストリートバイカー」編
ストリートカスタムという新たなスタイルを世に広めたマシンたち
原宿がバイクカルチャーの発信地だったころ
誰もがオートバイに熱狂した80~90年代の終焉を境に、若者文化におけるオートバイの立ち位置はにわかに変化し始めました。いわば誰もが憧れ、誰もが興じたメインカルチャーから、感度の高い若者が好むサブカルチャー(カウンターカルチャー)への変遷。渋谷や原宿など、若者文化の中心部では、ちょっとモノの分かっているお洒落さんのアシという新たな潮流が生まれた訳です。90年代後半から2000年代に発生し、流行した「ストリートカスタム」という概念はまさにそうした流れとともにあったと思います。
TWやFTRというマイナーかつ意外性のある車種を「トラッカー」というこれまた一般には知られていないモータースポーツをイメージしてカスタマイズする。ウェアは古着やミリタリーファッション、そしてスニーカー……既存のオートバイ乗りのスタイルに囚われず自由にオートバイを愉しむ、それが当時のストリーバイカーたちの心意気でした。しかし、ここにはウラがあった。
当時、まだ20代前半だった私もブームに煽られグラストラッカー・ビッグボーイの新車を購入しましたが、エンジンは眠く、それまでに乗ってきた原付スポーツや、2ストトレール車、レーサーレプリカなどと比べると何とも退屈なものでした。おまけに燃料タンクが小さいうえに燃料計もなし。そもそもツーリングなんてものはまったく想定されていないんです。
そうして横浜の片田舎に住む小僧はようやく気が付くわけです。これらのマシンは友達や恋人とともに華やかな都会を走り回る「充実したリアル」があってはじめて魅力を発揮するのだと。いつもタンデムシートが空いていた私のグラストラッカーは購入後わずか1000㎞走っただけで業者に引き取られていきましたね(泣)
こちらがその哀れなグラストラッカー。長野県白馬村へのツーリングに行く前に撮った1枚だと思われる。当時はジェベル200(こっちの方が乗ると面白い)も所有していたので、ほとんど稼働してなかった。ツーリングにはまったく不向きだけど、近所を転がす分には使いやすくて良いバイクだった。
ヤマハ TW200(1987年~)
初代が登場したのはレーサーレプリカブーム真っ只中の30年前。ご存知の通り、当初は極太ブロックタイヤや高地補正機能付きキャブを装備するニッチで武骨でマニアックなアドベンチャー用バイクだった。そうした特殊性がストリートバイカーに見初められブレイクした後に、丸目ヘッドライトや、シティユースに適した亀甲パターンの前後タイヤを標準装備したTW200Eが登場。ただ、TWにカウンターカルチャー的なものを見出していた当初のストリートバイカーたちにしてみれば「そうじゃないんだよな~」というのが正直な印象だったのではないだろうか。
ヤマハ SR400(1978年~)
TWと同じく、登場から長い時間を経て大ブレイクを果たしたモデル。ただし、こちらはTWほどアクの強くない、普遍性のあるスタイルだったためか、1990年代のアメリカン・カフェレーサーブームから2000年代のストリートバイカーブーム、そして現在まで高い人気を保持している。インジェクション化された現行モデルはカスタムベースというより、新車で購入できる「旧車」としての魅力がある。
ホンダ FTR250(1986年~)
SRやTWと共に人気だったが、こちらはとっくに絶版になっていたため(しかも売れていなかった)中古車のタマ数が少なく、ピーク時には60万円近い値が付いた。ただし、半球形の燃焼室を採用する4バルブRFVCエンジンを専用設計のダブルクレードルフレームに搭載するなど、その後に登場した223ccのモデルとは別格の作り込み。いまでも手に入れる価値はあるのでは?
ヤマハ・マジェスティ(1995年~)
発売されたのは95年だが、ストリートカスタムのベースとして爆発的に流行るのは2000年代に入ってから。もっとも自分の知る限りでは、それ以前から“ハズし”としてこの手のスクーターは若者に潜在的な重要があったと思う。スケボーとVANSを愛する私の高校時代の同級生Sは、当時まだ珍しかった社外マフラーを装着したホンダ・フリーウェイに乗っており、アメ車を窓から手を出しながらダラダラと転がすイメージなんだとうそぶいてた。
(文/佐藤旅宇)