East and West side story
「フィンエアー」と「ヘルシンキ空港」が作ったショート・フィルムらしい。
世界各国の東と西の人々を結ぶトランジット(乗継地)という、ヘルシンキの役割を知ってもらいたいということで。
アメリカ人の作家と韓国人のカメラマンが登場します。
作家の女性が若すぎる。もっと成熟した女性の方がよかったのに。もっと切なく、深みを増した。
ここからは私事。
80年代すぐ。ヘルシンキ空港に降り立ち(「フィンエア」だったかも知れない……)、ホテルへと向かったのだが、大小様々な湖沼が陽の光を反射させて輝いていた。全ては氷河の爪痕だという。「フィンランド」を「フィン語」では「スオミ」というが、それは「湖が多い」という意味だと聞いて、バスからの風景を納得していた。(でも後日、これは俗説だと否定された。)
ホテル近くの公園で野外チェスをやっていた。チェスの駒一つが小ぶりな机ほどもあり、もちろんスカンジナビアで白木だ。その学生たちと話をした。
「ここの言葉ってヨーロッパのどこの言語とも似ていないんだが、どこの系統なの?」
「ウラル=アルタイ語族に属するんだと思う」
「ありゃ、日本語もそこに属するよ。じゃ、ヨーロッパでここの言葉と似ているのはどこ?」
「ハンガリー。旅行した時、あそこの新聞の60%は理解できた」
「そうか、君たちは『フン族』の末裔なのね。『フン・ランド』で『フン・ガリア』かあ……」
モンゴル高原の「フン族」が急に膨張して、ロシアを掻き乱し、黒海、カスピ海まで出張ってきて、その付近にいたゲルマン(ゴート族)を圧迫して「ゲルマン民族の大移動」を促した。その後は「世界史」に詳しい。
最大の武力は人馬一体の乗馬術と火薬そして残虐さであったという。このことで、ヨーロッパ人に拭いがたい「黄禍思想」を植えつけた。
その後、フン族(もうこの頃は三〜四代目くらいになっていたのかも……)は北に進路を変え、ハンガリーとフィンランドを自分たちの国にしたらしい。高原のモンゴリアンが長駆して、ついにバルト海を臨んで感慨に咽ぶ後ろ姿が見える。
East meets West.