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琉大事件を考える(仮称)

不破さんが沖縄入りしたのは1970年

2018.09.18 15:32

私の伯父は、1954年に沖縄から追放されている。

不破さんは、1970年から45回も沖縄へ行ってるんだね。



私の伯父は1996年に沖縄で、43年ぶりに上原清治さん宮城倉啓さんと再会している(再会できた)。

その経緯を新崎盛暉先生は知りたがっていた。



その1996年からでも、沖縄は…。

せめて、2014年沖縄県知事選は何だったのか





沖縄での事を語るとか以前に、

本土では、奄美や沖縄の人はどういう立場だったか

現に、私の母の姉は大阪で自殺したからね。

もし、琉大を卒業していたら沖縄や奄美での就職にも困らず、大阪に出る事もなかったかもしれないと負い目を感じたのか。

6人きょうだいだったのにね

残ったのは、妹1人(私の母)となった。

私の母は末っ子。




辰巳さんへは沢山の大きな恩がある。

1930年代、第2室戸台風の被害対策に辰巳さんと共に取り組みながら、私の伯父は人生のドン底から立ち直れたというかね…

良き出会いもあり、大阪市営住宅へ引っ越しをしたのも、結婚が理由だったんですよ。

とても、素敵な方でね。



その第2室戸台風が、どれだけのものだったか…

そしたら、先日ね

第2室戸台風に匹敵する台風が大阪にきて、その中でコーポが大変な状況になっていて、私はね…


9月7日~9月10日沖縄行きをキャンセルした。


*総会や懇親会の手伝いをする予定だった。
第15回公開シンポジウム(沖縄開催)のお知らせ
 東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会ブログ
http://east-asian-community-okinawa.hatenablog.com/entry/2018/07/26/120554








私の母が、まさかね

その妹だったとはね

大阪に来てからも色んな事があったから、沖縄での事は一切話さなかったからね

自分に妹がいる事も黙っていたから。







私は、1996年朝日新聞の記事を偶然に見て、そこで初めて琉大事件というのを知った。

写真を見て驚いた。

私の弟が載ってる!と、先ず思ったから。








1954年、私の伯父は沖縄から追放され、その後、共産党は沖縄で何をしてたんですか?

何をしてるんですか?

結局は、そういう事なんですか?











第2次琉大事件に関しては、腑に落ちないところもあるというか…

処分された学生はね、就職にも影響されただろうしね

それなりの苦労もあったとは思う。

そして、その第2次琉大事件の場合は、退学処分を撤回しますよと、これもこれで、タイミングを狙ったようにね…何だかね






退学させられたとか云々以前に、その頃(第1次琉大事件)の出来事が教訓とされるどころか…


一体、どういう事ですか?

先ずは、共産党に答えて欲しいのですが、その頃(第1次琉大事件)の出来事さえも把握していないという…

話にもならない状況






私の伯父が琉大に在籍していた時は、新川明とかもいたらしいね…

その頃の琉大は、どういう感じだったか。

何に抵抗をしたのか。




琉球大学では、屋良朝笛の息子が

学科というかクラスの担任だった。




今この時でも、琉大事件をどう捉えていいのか



朝鮮戦争下で原爆展

琉大事件とは何だったのか