25時
25時
2004/02/03
恵比寿ガーデンシネマ
男の友情もの、というのはたくさんあります。最近では友情と私情の狭間に苦しむ『ミスティック・
リバー』とかですね。
この映画、ただの3人の友情物語ではありません。
主人公のモンティがドラッグ・ディーラーとして捕まって25時間後には刑務所行き。
友人のフランク、ジェイコブはせめて慰めるつもりで送別会を開くわけですが・・・
この3人、幼馴染とはいえ、ドラッグ・ディーラー、証券ブローカー、高校の英語教師と全く違う
世界の人間で、価値観が全く違う3人で、子供のように「べったり仲良し3人組」になるはずがない。
それぞれが、お互いを密かに、軽蔑し、羨み、信用していない。
何もなければそれでも、時々会って飲みに行き、話し、遊ぶ仲かもしれませんが、まもなく
刑務所に行くという事態になったとき、このもろい仲の良さが、ぐらぐらと不安定にゆらめいて
しまうのをスパイク・リー監督が熱くもなく、冷たくもなく客観的な批判精神の演出で描いているし、
エドワート・ノートン、バリー・ペッパー、フィリップ・シーモア・ホフマン・・・監督の希望に全身で
応えているような演技合戦。
といってもあくまで3人は等身大の人間で強くもあり、弱くもあります。
それが一番顕著に出ていたのはトイレの鏡に映るモンティの姿が、ニューヨークに住むすべての
人種などへの罵倒し続ける所です。
しかし、罵倒の末にあるのは、恐ろしいほどの自己嫌悪です。
この映画は自己嫌悪の映画ともいえるでしょう。もう取り返しのつかないことになってしまったことへ
の後悔と自責の連続。
ラスト近くは意外な展開かと思わせておいて、ラストの1ショットで見事にひっくりかえす、絶望と
希望。
勝手な憶測ですが、監督の役者への要求のハードルはものすごく高かったのではないかと
思います。
それに応える役者、スタッフ・・・の出来の良さ。
絶望を描きながらも、人間の弱さを、そして今のアメリカの弱さを描き出す、その手腕に
感心しました。