LGBTをめぐる批判
少し前に、自民党の杉田水脈衆議院議員による「LGBTは生産性がない」発言で炎上しましたね。そして次は新潮45の「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特別企画が炎上してますね。
正直、なんで炎上するのか分からないのです。
僕はバイセクシャルなので、LGBTのBに該当します。だから「この人たち俺のことを批判している」と捉えることもできますが、何も感じないんですよね。それは僕が「人は人・俺は俺」精神で生きているからだと思うんですが、ニュースやSNSを見ていると批判の声をあげる方は少なくありません。しかし僕の中では、批判の声をあげるゲイの方々への不満の方が強いんですよね。って彼らへの不満を述べたい訳ではないけど、その不満が自分の中でモヤモヤするので、炎上した問題について一度自分なりに考えてみて、感じたことや思うことをまとめてみようと思いました。
「生産性がない」
まず、すごく叩かれていた杉田議員が言ってること、僕はほぼほぼ理解できるんですよね。正解かどうかは別として、彼女はLGBTではないストレートな方ですから、ストレートの方の意見としては普通というか一般的というか、まぁ世間的な考え方なのかなと。でもその中でも自分の意見と反対意見を分析して、LGBT問題に向き合っているなって印象。確かに首を傾げたくなる部分もあるけど、「うんうん、分かる。」「うん、確かに。」と思うことばかりで、間違ったことを言っているようには感じませんでした。Twitterやマスコミなどはカットされた問題視されそうなところだけを使用していたので、とても悪意を感じ、それによって批判を受ける杉田議員がかわいそうに感じた。
「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」の話題にふれた時に半笑いで話したり、LGBTの方たちが生活しにくくても基本的人権は守られているのだからそれ以上は必要ない的な発言をした時は「いや、それは必要だろ~」と思いましたが、生活保護や育児支援など今抱えている問題にふれた後の「優先度は低い」という発言には「確かに」と思った。他に優先すべき課題はあるはずだ。学校内でのLGBT教育についても「どれだけ正しい知識を先生が生徒に教えられるのか分からない」という発言にも「確かに」と思ったし、激務が問題視されている教師に、更に業務を増やすのもどうかなと思う。他所から講師を招いたとしても、聞く耳を立たせる生徒も少ないだろう。仮に僕が学生で、先生や講師からLGBTの教育があったとしても、きっと右から左に流れていくだけ。ストレートの人たちからすれば、さほどLGBT問題は重要ではなくて関心は薄いと思う。そこに無理くり教育を入れても・・・ね(※1)。
問題の「生産性がない」発言に、ゲイはこういう反論をしていた。
「生産性がなければ人権すらないのか」「LGBTだけ生産性がない的な発言マジくそ。子供が産めない女や独身の人らはどうなんだ」「生産性のなさをLGBTだけに限定するのは差別だ」「死ね」「ブス」とかね。まず彼女の中には既に人権は守られていますよってのが底辺にあるので「人権すらないのか」は的外れだし、子供が産めない女性についても少し触れていましたけど、そもそもLGBTの話をしている中でLGBT以外の話しますか?って。お前サッカーの話をしている時に水泳の話ぶっ込みますか?って。なんか反論するとこ違くね?って。全部的外れじゃね?って。じゃ逆にお前生産性あんの?YESって言えんの?子供産めんの?生産性あんの?なぁ、お前に生産性あるの?ってしつこく聞いてやりたいくらいだった。だって、確かに生産性はない。それは事実だ。
少子化問題や税金の使い方の話をした後での「生産性がない」なので、きっと将来的な国益などを考慮した上での発言なのに、話の流れもくみ取れずに「死ね」や「ブス」などの暴言を平気で発するお前らの方がブスだし死ねよって思うし、悲しいよね。自分たちで自分らの印象を下げてて笑うしかない。
まぁ彼女の発言や態度は批判を仰ぐものかもしれないけど「LGBT支援の度が過ぎる」発言も含め、ただ単に差別や批判をしているのではなくて、国として動かす場合の優先度やリスク、歴史なども踏まえて、日本には同性愛者の虐殺もないし、昔から同性愛はあったし、世界的に見てもLGBTは守られてますよ、だから今すぐ優先させて進める話ではないってことを言いたいんじゃないかなって。別にそれに正解や不正解なんてなくて、杉田議員がそう思ってるんだからそれでええやん。文句あんなら自分がメディアに出て自分の意見ぶちかませよ~て思う。
(※1)・・・中学生の時、同級生にレズビアンがいました。彼女はボーイッシュで男っぽく、自らレズビアンだとカミングアウトしていました。当時の僕はストレートでしたから、同性愛を気持ち悪いと思っていたし自然の秩序から外れたいけないものだという認識でした。それでも学校も先生も僕を含め生徒も否定したりイジメはなかった。きっと各々がこーゆー人もいるんだって自分の中で飲み込んでいたんだと思う。でも彼女に友人はいなかった。きっと皆、同性愛者との接し方が分からないんだと思う。もしもあの時、誤ったLGBT教育を受けていたら、状況は悪くなっていたかもしれない。もしもあの時、正確なLGBT教育を受けていたら、彼女はもっと楽しい中学時代を過ごしていたかもしれない。どちらにせよ、教育現場はシビアで繊細な環境だから善し悪しの判断が難しいよね。
「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」
んとね、これはヤバい。全然いいんだけどね。こーゆー人もいるんだあ!って。参考になりまーす!あざーす!って。でも、あまりにも偏見というか独創的というか偏りすぎてて笑えるレベルだよね。ただ、勝手に思ってくれてる分にはいいんだけど、それを紙を媒体に、しかも読者から金をもらってまで不特定多数の人と共有すべきじゃないって思うから、発言者より発行者が悪いって思う。笑
「性的嗜好についてあからさまに語るのは、端的に言って人迷惑である」
→お前の歪んだ考えをあからさまに語ることこそが迷惑だ
「極端な希少種を除けば、性には、生物学的にXXの雌かXYの雄しかない」
→ごめん、高卒で生物学を学んでないから意味が分からん
「LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう」
→LGBTとSMAGとやらは別もので比較対象にならないのでは
「LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである」
→YOUこそがふざけた概念の塊である
「痴漢症候群の触る権利を社会は保障すべきではないのか」
→コイツ何を言ってるんだ・・・危険人物の権利を保障だと・・・
「LGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」
→国内中の精神的苦痛による巨額の賠償金を払うのはお前だ
この人たちの周りで仕事をする人や家族、親戚等、関わる人すべて、なんか大変な思いをしてそうだよね。他にも色んな部分で偏ってそうだし、自分の意見曲げなそうだし。これはもう、こーゆー人なんだなって。こーゆー人もいるんだなって思うこと以外言葉が出ないし、ただ言えることは、こんな大人になりたくない。それだけです。
まぁでもマジで結局は・・・
本当にどうでもいい。何を言われても気にならないし。
生きにくくても生きていくしかないし。今も今までも。
ぶっちゃけLGBTだからって特に困ったことないしな
家族や友人たちに隠して生き抜く使命を与えられたくらい?
でも毎日うぇーいな感じで別に生きにくくないし割とエンジョイ
仮に何かあっても生まれた時代ミスったなって思って終わりじゃん?
LGBT政策に批判する声があっても行動に移す自治体もあるわけで
結局はなるようにしかならないし変えたいなら議員になれば?的な
仮に日本にLGBTの制度ができたとしても、LGBTを認めない人や認めたくても認められずに拒否反応出ちゃう系な人って必ずおるし、なんでもそうだけど、苺が好きな人もいれば嫌いな人もいるし、遊園地が好きな人も嫌いな人もいる、音楽にしろファッションにしろ、色にしろ趣味にしろ、全ての物事に好きな意見と嫌いな意見があるわけで。全ての人に理解を得るのって不可能なのに、マジで思うんだけど、逆にLGBTって社会に何を求めてんの?って感じ。別に反対の意見があっても良い。彼らの中ではそれが正義なんだから、もぅそれで良くね?もぅそれが全てじゃん。話終わりじゃん。みんな同じ考えだったら気持ち悪いでしょ。何を求めているのかは分からないけど求めすぎなのでは?
最後に言いたいのは、Gの人でBをよく思ってない人が割といること。俺や友人が実際に言われたことある言葉なんだけど「Bって都合いいよね」「Bって女に逃げれるからいいよね」「結局は女を選ぶ」「恋愛面で信用できない」「結婚考えてるBとか無理」「ノンケかGかハッキリしてほしい」って自分らのセクシュアリティは主張するくせに人のセクシュアリティを小バカにする人がいるという現実。何様か分かりませんが、そんな経験から僕はGがあまり好きではありません。「BはGの前ではGと言っておいた方がいい」と言われたこともあります。LGBTの間でも自分のセクシュアリティを偽って過ごしている人もいるっておかしくないですか?
もう分かりますよね。
LGBTの中ですらしっかり理解し合えていない、尊重し合えていないのに一般のストレートの方たちに理解を求めセクシュアリティを主張するなんて無理あるし順番違うし、どの口が言えるんだ?って話ですよ。都合が良すぎではないだろうか。