匂う糞と匂う糞のどちらがより匂わないか?
【wording】
“lesser evil”という政治とりわけ選挙まわりの用語があります。
つまり、「政治とはレッサー・イーブル(lesser evil)を選ぶことだ」といいます。政治において完璧な善はない以上、いずれの政治家であれ、政策であれ、より悪の程度が小さい方を選ぶしかない、そういう知恵(もしくは都合)を意味する言葉です。
lesserとは数えられないものに対してのlittleの比較級で、evilはbadより悪の度合いが相当に高い「邪悪」です。ですから、“lesser evil”は「邪悪よりはマシな悪」という意味になります。
福沢諭吉も、「政治とは悪さ加減の選択である」という言葉を残しています。
ブロガーのやまもといちろうさんが2014衆院選挙について「匂う糞と匂う糞のどっちがより匂わないかというのを選ぶ戦いです」と言い放ちました。これこそが「レッサー・イーヴル」を正確に理解して表現したものだと思います。
ウインストン・チャーチルが「民主主義とは、国民が政治に参加する最悪の方法である。だが、それ以外に、国民が政治に参加する方法を、人類はまだ発見していない」と言っているのですが、残念なことに、その次代の代替案はまだ見つかっていません。
さらに「選挙に出る人間は誰であれ、名声を欲しがり、権力を欲しがる、ろくでなしばかりだ」と身も蓋もないのです。
その結果として、アメリカン・ジョークがおちょくってます。
「ジョージ・ワシントンは嘘をつかなかった。ニクソンは嘘しかつかなかった。そして、レーガンは嘘と真の区別が無かった」と。
複雑に込み入った事象をたった一つのフレーズで見事に分析して明らかにしていることに舌を巻くことがあります。この「レッサー・イーヴル」も鮮やかなものです。選挙もしくは政治においてわれわれが感じる理不尽さとか不納得感が一体どこから齎されるものなのかを見事に解明してくれてます。
この箴言を日本の箴言に置き換えると、「背に腹は代えられない」(背のために大切な臓器が収まっている腹を犠牲にできない)とか「嘘も方便」(結果が手段を正当化してくれるはず)ということになろうかと思いますが、これでいつまで日本をかき混ぜ続けるのでしょうか?
酷く臭う糞を捨て、そこそこの臭いの糞にしましたか?