ZIPANG-7 TOKIO 2020 《⽇本の景観》~アーカイブ~出石市、伊豆松崎町、輪島市、島根県奥出雲町、etc・・・(四季)
~景観~
景観とは、山があり、川があり、まちがあるという目で見える「景」と、人が目にし、感じること「観」で捉えられる、まちの表情や印象です。
兵庫県出石市 紅葉と銀杏が秋を競う 編集局イメージ
静岡県 伊豆松崎町 景観計画 編集局イメージ
石川県輪島市 大沢・上大沢の間垣集落景観 編集局イメージ
文化庁 文化的景観 編集局イメージ
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景観とは
景観とは、山があり、川があり、まちがあるという目で見える「景」と、人が目にし、感じること「観」で捉えられる、まちの表情や印象です。
景観を形成する要素は、山、川などの自然、建物、道路、公園などの町並み、地域の活動や祭り、行事などの人々の活動が一体となって構成されるものです。
良好な景観として認識される多くのものは、そうした目に映るまちの景色だけでなく、地域における人々の生活や生業及び風土などの文化的・歴史的な心に息づくものまで幅広いものを捉えます。
良好な景観は、自然等の地域資源の上に長い歴史を経た人々の営みが徐々に積み重ねられ、住民によって形成された一つの作品であり、住民共有の「宝」であると言えます。
奥出雲町紹介
平成17年3月に旧仁多町と旧横田町の合併により誕生した奥出雲町は、島根県の東南端に位置し、中国山地の嶺を隔て広島県と鳥取県に接する、神話に名高い斐伊川※の源流域にあります。
斐伊川放水路と神戸川の合流点付近
この奥出雲の地は、古事記、日本書紀の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治や、素戔鳴尊(スサノオノミコト)が降臨したと伝えられる出雲神話発祥の地であり、古くから「たたら」製鉄で栄え、今でも世界で唯一、古来からの「たたら」操業を行い日本刀※の原料となる「玉鋼(タマハガネ)」を生産しています。
※斐伊川・神戸川の概要
斐伊川は、その源を島根県仁多郡奥出雲町の船通山(標高1,143m)に発し、起伏が穏やかな中国山地を下り、横田盆地をゆるやかに流れた後、山間峡谷部を急流になって下り、途中三刀屋川等の多くの支川を合わせながら北に流れ、出雲市大津町上来原地先で斐伊川放水路を通して神戸川へ洪水を分派した後、下流に広がる出雲平野を東に貫流し、宍道湖、大橋川、中海、境水道を経て日本海に注ぐ一級河川です。
神戸川は、その源を島根県飯石郡飯南町の女亀山(標高830m)に発し、途中頓原川、伊佐川、波多川等の支川を合せながら北に流下し、出雲市上塩冶町半分地先で斐伊川放水路を合流して、出雲市を貫流した後、新内藤川を合わせて日本海に注ぐ一級河川です。
全国の皆様へ
奧出雲町からのメッセージをお届けいたします・・・
奥出雲 神々の国へ…絵にも描けない中国山地の眺め・・・
私たちのまち奥出雲町は、島根県の東南端に位置し、船通山、吾妻山を代表とする中国山地の嶺を隔て鳥取県と広島県に接し、神話に名高い斐伊川の源流域にあります。
八百万(やおよろず)の神々が集うといわれる出雲地方の中でも、この奥出雲の地は、古事記、日本書紀に登場するヤマタノオロチ退治の舞台で、ス サノオノミコトが降臨したと伝える出雲神話発祥の地として知られています。
また、古くからたたら製鉄で栄え、今でも世界で唯一、たたら操業を行 い日本刀の原料となる「玉鋼(たまはがね)」を生産することで、全国的に周知されています。
一方、地理的に山間の地域であるため、若者世代の流出や少子高齢化とい った大きな課題も抱えています。これまでのインフラ整備を中心とした施策 から、特産の仁多米、奥出雲椎茸、和牛、地酒をはじめ、自然に育まれた地であるが故に形作られた地域資源を活用し、新たな産物の開発など、地域ブ ランド化による産業の振興を進めています。
また、神話時代からの歴史文化や四季折々に彩られる恵まれた自然環境など豊富な地域資源を活かした観光の振興にも力を入れています。
さて、永い年月を経て時代や人々の生活との融和により形づくられてきた 今日の景観は、町民の心にやすらぎを与え、来訪者にも喜びと感動を与える かけがえのない共有の財産です。
いま、私たちは、この自然、歴史、文化、伝統に裏打ちされた美しく豊か なこのまちの景観を見つめ直す時がきています。皆がその大切さを改めて認 識し、また共有し、悠久の時をつないだ先人に敬意と感謝の念を抱きつつ、 私たちの子どもたち、またその次世代を担う人々が、この地に生まれ、育っ たことに喜びと誇りを感じられるよう継承することが求められています。
このまちの豊かな景観を保全、整備、活用していくため、景観法及びふる さと島根の景観づくり条例の理念並びに奥出雲町総合計画との整合を図りながら、景観形成基準の策定等を行い、奥出雲らしい良好な景観づくりを進めていきます。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「神話とロマンの里 奥出雲町とは、世界で唯一古来からの【たたら製鉄】の伝統技術を 守る町です。【第一話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5764450
日本農業遺産認定
「たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業」とは
奥出雲 秋の稲田
奥出雲地域のたたら製鉄と農林畜産業の特徴
島根県奥出雲町は中国山地の山々に囲まれ、緩やかな棚田が広がる美しい農村です。
かつてこの地で栄えた「たたら製鉄」は、近代化が進んだ明治以降、西洋式の製鉄法の導入等により衰退し、地域産業としての役目を終えたが、今日、世界で唯一、奥出雲の地でその技術が保存・継承されています。
奥出雲地域で行われる農業とその営みがつくりだす農村風景は、驚くべきことに、かつてこの地で繁栄を極めた「たたら製鉄」の歴史の上にあるのです。すなわち、自然から永続的に資源を取り出せるよう管理された製鉄業を前提として、自然と共生した農業によって高品位の農産物を育み続けるという、優れた農業システムを有しています。
良質な砂鉄を含んだ大地と中国山地の豊かな森林、水資源に恵まれた奥出雲地域は、この自然特性を活かすことにより我が国の製鉄における一大生産地帯となり、社会経済を支えてきました。
たたら製鉄に使用される砂鉄は、山体を切り崩し水流によって比重選鉱する「鉄穴(かんな)流し」と呼ばれる技術によって採取され、膨大な土砂を流し広大な面積の鉱山跡地(鉄穴流し跡)が形成されました。
しかし、この跡地は放置されることなく鉄穴流しで利用されていた水利を活かしながら、次から次へと棚田として再生され、その農地面積は奥出雲地域の農業基盤(田畑)の約3分の1にも及ぶとされている。
また、たたら製鉄には大量の木炭を必要とすることから、森林資源が枯渇することのないよう約30年周期で計画的に輪伐を繰り返しながら保全管理し、伐採した後はソバの種をまいて食料と生計を支えてきました。これと同時に、格好の放牧場として春から秋にかけて和牛が放たれていました。今日に至り、森林資源は薪炭林の役目を終え、シイタケなどのきのこ生産の原木供給林として利用されています。
さらに、製品鉄や原材料である砂鉄や木炭の運搬のために丈夫な牛馬が必要であったため、江戸初期から和牛改良を重ねながら増頭し、役牛として農耕させるとともに、牛糞堆肥を水田に施用し稲作を拡大してきました。こうして、「農業」と「製鉄業」が両立した農鉱一体の産業として、この地域ならでは独特な農業システムを生み出したのです。
奥出雲 羽内谷鉱山 鉄穴流し
たたら製鉄(日本古来の製鉄法)の原料である砂鉄を採取するため、500年以上にわたって、鉄穴流し(かんなながし)という採掘技術で山々を切り崩し、採掘のために導いた水路やため池を再利用して次から次へと棚田に再生しました。
奥出雲地域の主たる母岩は深層風化の進んだ花崗岩(真砂土)で、この中に約1%の砂鉄を含有しています。棚田に再生するプロセスは、水流による比重選鉱で砂鉄を採掘し、削平された跡地を土羽で土手(畦畔)を築いて、導いた水流でさらに土砂を流し込み水平にしながら耕地を形成し、水路やため池はそのまま利活用しました。
島根県奥出雲地域は「たたら製鉄」のために切り崩した山々を500年以上にわたって棚田へと再生してきました。同時に、拡大する棚田の耕作のため17世紀初頭から続けた和牛改良の知識を肉用牛の飼養管理技術に受け継ぎ、系統を引き継ぐ種雄牛(仁多牛)を造成し、飼育で得た堆肥による土づくりで全国を代表する「仁多米」を育んでいます。
一方、約30年周期で伐採してきた薪炭林は、シイタケ生産に循環利用の知識を継承し、輪伐による健全な森林や水田畦畔に棲むミツバチが受粉を促し、在来ソバの結実率を高めながら遺伝資源を今日に伝え、「出雲そば」が日本三大蕎麦となりました。
農文化としてハレの日には蕎麦を振る舞い、稲作や和牛の信仰も根付き、鉱山跡地に拓かれた棚田には墓地や神木を祭った小山(鉄穴残丘)が無数に点在し、神(自然)を畏れ祖先を敬う日本の宗教観をよく示す農業景観を形成しています。
たたら製鉄によりもたらされた文化・産業
奥出雲で生産された鉄は次から次へと牛馬や川舟によって安来などの港へ運ばれ、北前船交易の主要な荷として全国各地へ送り出されました。港と奥出雲を結ぶ街道は鉄輸送によって人の往来が増え、街道筋の宿場町や温泉は大いに賑わいました。
港町・安来は、鉄の集積地として人々が交わる拠点となり、各地の船頭が唄う民謡などの影響を受けて「民謡安来節」が生まれ、ユニークな「どじょうすくい踊り」とともに全国に知られています。
日本遺産 安来節
全国に知られる安来節(抜粋)とどじょうすくい踊り
親父どこ行く 腰に篭下げて 前の小川に どじょう取りに
唄に千両の 値踏みがあれば どじょうは万両の 味がある
わしが生まれは 浜佐陀生まれ 朝まとうから どじょやどじょ
たった一夜の 時雨に濡れて 乱れましたよ 萩の花
高い山から 谷底見れば 乙女姿の どじょう掬い
また、鉄の交易によって多くの富とさまざまな文化が集まりました。製鉄業で財をなした鉄師たちは、収める品ごとに数多くの土蔵を建て、都で見られるような豪華な茶室や庭園を自邸に構えて「不昧」と号した松平治郷をはじめとする歴代松江藩主をもてなしました。労働者たちは、鉄師から聞いた京都の「祇園祭り」の様子を模して、太鼓を叩く稚児を乗せた山車が練り歩く「大呂愛宕ばやし」を思いつき、ハレの日を演出して楽しみました。
奥出雲町 夏の風物詩「大呂愛宕祭り」
大呂愛宕祭りは、鳥上地区大呂地内で行われている火難よけ、五穀豊穣の祭りで、
およそ300年以上の歴史を持つ伝統的な夏祭りです。
毎年、8月下旬の夕暮れから、どう屋台や傘ぼこ、ねぶた、デコ屋台などの山車(だし)行列が福頼、山県公会堂前を出発。代山三叉路、中丁三叉路、妙厳寺下を巡行し、大呂愛宕大権現を目指して華麗な風情を繰り広げます。
愛宕大権現境内では、夕闇にライトアップされた幻想的な光が、可愛らしい稚児の姿とともに、田園晩夏を美しく彩り、子供たちの太鼓やチャンチャ、笛の音が響きわたり、大勢の人たちが過行く夏の一夜に酔いしれるのでした。
一方、農村部では、鉄穴流しで大規模に切り崩した跡地にまず蕎麦などの種を蒔いて土をつくり、その後、稲を植えて、広大な棚田をつくりあげました。このようにして生産された蕎麦は幕府にも献上され、良質米は大阪に送られるほど高い評価を受けました。
たたら製鉄は、単に鉄をつくっただけでなく、地域産業の発展を支えながら、格調高い文化を育んでいったのです。
(詳細は本文にて・・・)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「神話とロマンの里 奥出雲町 日本農業遺産認定 ~たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業~【第二話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5782896
島根県と奥出雲町
奥出雲 船通山を望むオロチ
現代、日本海側は『裏日本』とか『鄙(ひな)の国』などと言われていますが、遠い昔、弥生時代(紀元前4~500年から 紀元後300年くらい)は日本海側が『表日本』であり、日本海を通じて様々な交流が行われていました。
中国山地の山間に位置する島根県仁多郡奥出雲町。同県を代表する海側の観光地、「出雲大社」からは約70分、松江城からは約60分ほど内陸方面に車を走らせて辿り着く「奥の地」です。
視界いっぱいに広がる田んぼや、町を渡る緑の風、用水路を流れる水の音など、日本の原風景そのままの「懐かしい姿」は、「奥の地」ならではの賜物。
また、古事記や日本書紀で「スサノオノミコトが降臨した」と記されている出雲神話発祥の地であり、「たたら」と呼ばれる製鉄技術を極めた。日本の産業の礎の地でもあります。
奥出雲 横田地区 鉄穴流し地図
「奥の地」の文化的景観
文化的景観とは、生活の中に溶け込んでいる身近なもので、認識されにくく見過ごされがちな存在なのです。しかしながら、身近な景観をつぶさに見渡すと、そこに地域のアイデンティティーが刻み込まれ、先人たちの記憶を鮮明に映し出していることに気が付きます。
奥出雲町は出雲国風土記に良鉄の産地と記されて以来今日もなお「たたら製鉄」が操業され、実に千数百年に渡り連綿と炎が舞い上がり続け、我が国の一大生産地帯として隆盛を極めました。
これが、「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」なのです。
ZIPANG-3 TOKIO 2020「神々からの贈り物 『奥の地』 奥出雲町の文化的景観とは【第三話】黄金に輝くいなた」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5818274
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
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