昨日の続き
ということで昨日の続きです。
ナイアガラの滝は何故世界遺産になれないのか
カナダとアメリカにまたがって位置するナイアガラの滝。アフリカのヴィクトリアの滝、南アメリカのイグアスの滝と並び大きな滝を意味する世界三大瀑布の一つですが、世界遺産ではないんです。
1万年前に訪れた氷河期の寄って現在の川の形、滝が形成されたとされています。しかし滝となる地点は現在よりも11km下流の地点でした。
膨大な水量で地形が削られ浸食され続け今の位置にあります。この浸食を防ぐため1950年から1960年代にかけて水量を制御する工事が行われました。
結果年間1mの浸食を3㎝に抑えられるようになりました。またナイアガラの滝はその豊富な水量を利用して電力の発電にも関わっており、水量を人工的に制御され、人の手に寄って生きているともいえるナイアガラの滝はとても世界遺産に指定されづらい状態にあるのです。
同じ日に同じ商用が出願されたら?
商標とは特定の企業等の小文屋サービスであることを表す標識で、トレードマークやサービスマークともいわれます。登録された商標と同じ商標は登録することはできません。
商標は特許庁に出願しますが基本的に早い者勝ちというわけではなく、1日を境にしています。つまり11/16日と11/17では16に出願したものが商標権を得ますが、同日の場合は複数のものが申請可能になります。
この場合、話し合いによってどちらが商標権を得るかが協議されますが、ほとんど場合折り合いがつかないでしょう。
その場合は公平を期すためにくじ引きによって決められます。
ポケットティッシュは日本生まれ
外出時に非常に重宝されるポケットティッシュ。このポケットティッシュは日本生まれなんです。アメリカで開発されたティッシュペーパーが入ってきたのは1953年のこと。その後今皆様になじみなるボックスティッシュが誕生したのが1964年。そして1970年頃ににはポケットサイズのティッシュが日本中に普及します。
このポケットティシュには必ずと言っていいほど企業の宣伝が入っています。
こういった手法の宣伝をゲリラマーケティングと呼び実は世界中で日本のようにティッシュ配りをしている地域はほとんどありません。
個人タクシーは死亡事故によって生まれた。
日本でタクシーが登場したのは1910年代のこと。その後1959年に個人タクシーが登場しました。個人タクシーは正式には1人1車制個人タクシー事業といい法人タクシーと違って一人が一つの車両を用いて経営する事業のことです。この個人タクシー誕生には一人の青年の死が大きく関係していました。
1950年代になると世間は急速な車社会へと変わってあちこちで渋滞。当時のタクシーは歩合給制・ノルマ制がほとんどで時間内に一人でも多くの客を乗せようと躍起になるドライバーが急増。道交法違反は当たり前。危険運転が日常的に行われ「神風タクシー」という異名まで付くように。
そして1958年にこの神風タクシーによる人身死亡事故が発生します。この事件がきっかけで交通安全が社会問題となり、警察の厳しい取り締まりなどにより神風タクシーは姿を消します。
その翌年1959年に優良ドライバーに対して個人タクシーの営業許可が得た得られ、個人タクシーが誕生したのです。
北海道にはやりきれない川がある。
やりきれないとは気持ちの収まりがつかないで、納得できない様子を指す言葉ですが、北海道にはそんなやりきれない川があるんです。
やりきれない川は北海道夕張郡自仁町を流れる全長5kmの一級河川ですが、川が感情を抱いてるわけではありません。
やりきれない川は「ヤリキレナイ川」と表記され、アイヌ語の名前がついた川です。アイヌ語でヤリキレナイは魚の住まい川を意味する「ヤンケ・イナイ」または「片割れの川」を意味する「イヤル・キナイ」が語源と言われています。
明治時代にはたびたび反乱を起こしていたようで、地域住民はまさにやりきれない川だったでしょう。