自分の中の残酷さを超えて、喜びに生きる!
おはようございます。
安藤智子です。
皆さま、レムリア神殿にお越しいただいてるようで、嬉しいです。
1回のお申し込みで、期間中は好きなタイミングで何回もお越しいただけるので、その都度の申込みは必要ありません。
お気軽にご参加くださいね!
先週は、宇宙に重ねて自分の残忍さを感じていました。
残忍、残酷な自分。
それはどこから生まれたのか辿ると、自分で抱えきれなかった事柄であったことと、自分で選択出来なかった、選択しなかった、スタートから始まっていることが見えてきました。
地球ですらも…、誰しもが持ちうる残酷さ。
ただ、それは、受け入れない、許さないのジャッジから更に生まれる連鎖でもあります。
現在では、ジャッジしなくても生きていける時代に入っているからこその、そこの手放しなんでしょうね。
自分の喜びに素直に、残酷さ、残忍さもマルッと受け入れて、手放していく。
受け入れなければ手放せないですからね。
あるヒーリングを受けた後、自分の中のどこかから出てきた復讐というワードが宙ぶらりんになっていることに気づきました。
うわ、私、こんなの持ってた!
と。
大体が、対する人(相手)に残酷さを感じ、嫌悪感を抱くわけですが…それは、
自分がジャッジしてるからなんですよね。
もっと言うと、自分が、残酷さを学ぶ経験を選んだ…からなんですが。
考えたくないけど〜
ジャッジした時点で、自分の残酷さが更に顔を見せてるって事だなと感じました。
長い輪廻転生の中で、殺したり殺されたり。
思い出したくもない経験だからこそ、しまいこんで見えなくしている。
他人事だと思えないから、心が痛んだり、怒りを覚えたり、虚しくなる。
人は鏡であり、1つである。
ワンネス、その極意であるなと。
ワンネスを思う時、喜びの連鎖でありたいし、そこを目指してるからこそ、乗り越えられるからこそ、浮上するのかも。
捉われちゃいけない。
残酷さとか残忍さって、否定しがちだけど、そもそも、持っているものだし、それを超えていく為にあるものだと思います。
捉われちゃいけないのです。
レムリア神殿イベントで、その辺が浮き彫りになり、わけもわからず涙したり、不安定になる方もいるかもしれません。
何度もお越しになって、自分に必要なものは何かを感じてみるのと同時に、不必要なものを感じて手放せる機会になるとよりいいなと思いました。
自分の喜びに素直に生きていい時代…というか、喜びに素直じゃないと、生きれない時代。
自分の喜びで、大地にどーんと自立すべき時なんだなと感じます。
ブレていては立っていられない。
人は小さな小さな存在に感じますが、自分の中の喜びは無限に広げて、より安定して自立したいなと感じています。
引き続き、レムリア神殿イベント、よろしくお願い致します。