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令和5年10月度 御報恩御講 住職法話

2023.11.02 00:15

『佐渡御書(さどごしょ)』  文永(ぶんのう)9(1272)年    聖寿五十一歳

「悪王の正法を破るに、邪法の僧等(そうら)が方人(かたうど)をなして智者(ちしゃ)を失はん時は、師子王(ししおう)の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおご(驕)れるにはあらず、正法を惜しむ心の強情なるべし。おご(驕)る者は必ず強敵に値ひておそるゝ心出来(しゅったい)するなり。例せば修羅のおごり、帝釈(たいしゃく)にせめ(攻め)られて、無熱地(むねっち)の蓮(はちす)の中に小身(しょうしん)と成りて隠れしが如し。正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道なるべし。千経万論(せんぎょうばんろん)を習学すれども、時機に相違すれば叶ふべからず。」(御書五七九㌻七行目~十一行目)

南無妙法蓮華経

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【背景・対告衆】

 本抄は、文永九(一二七二)年三月二十日、日蓮大聖人様御年五十一歳の時に佐渡・塚原にて認められた書です。端書に「日蓮弟子檀那等御中」とあることから、広く門下一同に与えられた御消息と拝せられます。

本抄を認められた当時、それまでに強大な権力を持つ幕府役人と謗法の悪僧らが結託し、大聖人を抹殺しようとした龍口法難そして佐渡御配流。これらを目の当たりにした弟子・信徒の中には、大聖人様の教えに疑いを起こし退転する者が出てきました。そういった状況を御覧になられた大聖人様は、本抄の前月に『開目抄』を認められ、法華経に説かれる諸難を身読した大聖人様御自身こそ真の法華経の行者であり、末法に出現した三徳有縁の仏であることを明かし、南無妙法蓮華経こそが唯一の正法であることを示されました。

【内容】

 本抄では、仏法の上から障魔が競う意義を明かし、勇猛果敢に正法を弘める者が必ず成仏することを示して、門下一同の信行を励まされています。

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【御文拝読】

悪王の正法を破るに、邪法の僧等(そうら)が方人(かたうど)をなして智者(ちしゃ)を失はん時は、師子王(ししおう)の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。

〔語句の解説〕

・方人…ひいきすること。味方。

・師子王…百獣の王ライオンのこと。大聖人様は法華経や仏の勝劣を示す譬えとして用いられる。また仏の説法を獅子の吼える声にたとえて「獅子吼」とも称する。

〔通 釈〕

悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧等がそれに味方して智者を滅ぼそうとする時は、師子王のような心を持つ者が必ず仏になるのである。たとえば日蓮のとおりである。。

〔解 釈〕

 ここでは、①龍口御法難・佐渡御配流等による大聖人様がお受けした法難を見て、自らも同様な法難に遭うのでは?と恐れる弟子・信徒。②大聖人様が「正法を弘める」と言いながらも、法難に遭うことに対し、大聖人様への不信を起こす弟子・信徒。に対し、ここではなぜ大聖人様が御法難に遭われるのかを示されています。

 即ち、天変地夭また国内外での様々な争い等々によって人々が苦しんでいるその原因とは、邪義邪宗(悪王)の謗法の害毒によるものであり、その原因を知り、そしてそれを正そうとする者が必ず現れると仰せられています。その者とは仏様であり、百獣の王ライオン(師子王)の如く強い心を持ち、けっして邪義邪宗に恐れることない御方であるとも仰せられています。時に今、邪義邪宗によって妨害にありながらも、絶対に正法を弘めることを止めない日蓮こそ、師子王の心を持つ仏であると示されています。

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【御文拝読】

これおご(驕)れるにはあらず、正法を惜しむ心の強情なるべし。おご(驕)る者は必ず強敵に値ひておそるゝ心出来(しゅったい)するなり。例せば修羅のおごり、帝釈(たいしゃく)にせめ(攻め)られて、無熱地(むねっち)の蓮(はちす)の中に小身(しょうしん)と成りて隠れしが如し。

〔語句の解説〕

・修羅のおごり~隠れしが如し…『観仏三昧海経』(大正蔵十五-六四七)に、帝釈天に戦いを挑んだ阿修羅王が反撃に遭い、蓮の穴に逃げ込んだという説話。

・無熱地…炎や熱(炎熱)の苦しみがない池のことで、仏教で説く南閻浮提(人間世界)の中心にあり、四大河の水源とされる。阿耨池・無熱脳池、清涼池ともいう。

〔通 釈〕

 これは驕って言うのではなく、正法を惜しむ心が強盛なるがゆえである。驕れる者は強敵に遭うと恐怖心を生じる。たとえば驕った阿修羅が帝釈天に攻められて、無熱池の蓮の中に小さくなって隠れたようなものである。

〔解 釈〕

 ここでは、悪法たる邪義邪宗を正すなかで様々な法難に遭われながらも決して止めない者とは仏様であり、且つ大聖人様であることを明かされたことに対し、決して驕って示していないことを仰せられています。即ち、この大事を明かしたのは、正法を弘めるとの強く強盛なる心が故であり、驕りで示したのではないと仰せられています。

 そして驕れる者について、強い敵、強い嫌がらせがあれば恐怖心を起こして逃げるのが驕れる者であると示されて、阿修羅と帝釈天の例を挙げて示しています。即ち、帝釈天に戦いを挑んだ阿修羅王が帝釈天に恐れて蓮の中に逃げ込んだ如く、驕れる者は邪義邪宗による害毒が起きた時には、恐れて逃げ隠れてしまうと仰せられています。

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【御文拝読】

正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道なるべし。千経万論(せんぎょうばんろん)を習学すれども、時機に相違すれば叶ふべからず。

〔通 釈〕

正法は一字一句でも、時機に適えば必ず成仏する。千経万論を習学しても、時機に相違すれば成仏は叶わないのである。

〔解 釈〕

ここでは、時に合った教えを信仰することが、成仏が叶う道であると仰せられ、もし時に合わない教えを信仰したとしても成仏は叶うことはないとも仰せられています。

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【御妙判を拝して】

 拝読の御妙判では、

㈠  「正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道なるべし」と、時に叶った正しい教えを信仰することの大事を御教示されています。もし逆ならば、「千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶ふべからす」と、時に叶わない教えならば幾ら信仰しようとも成仏はできないとも御教示されています。

㈡  御妙判では、時に叶った教えを信仰すれば、魔の妨害により大難・小難に遭うとも御教示されています。

なぜ時に叶った正しい教えをすれば難に遭うのかといえば、その用(はたら)きとは魔による者であり、正しい教えによって人々が幸せに成ることへの妨害であります。我々は、この魔の妨害が起きた時に、持つべき心について大聖人様は、「各々師子王の心を取り出だして、いかに人をどすともをづる事なかれ」(聖人御難事一三九七㌻)と御教示されて、百獣の王たるライオンの如き強い心を持って魔の妨害に立ち向かうよう仰せられています。

 また折伏する時には更に大きく強い魔の妨害が起こります。なぜ起こるのかと言えば、信仰する我々以外にも真の幸せを得させようとする折伏が魔にとっては最大の苦しみであり、故に強力に魔の妨害を起こしてきます。その時にも、師子王の如き強い心を起こし、その妨害に立ち向かうことが大事であるとも大聖人様は御教示されています。

 折伏とは、「相手を誤って邪義邪宗を信仰する心を折り、時に適った正法たる大聖人様の教えに帰伏させることです。この折伏とは、相手を真に思う慈悲心が最も大事であることは言うまでもありません。折伏をする上で大事なことは、先ずは我々の穢れた命を御本尊様の御仏智によって変えて戴くよう唱題行に励むことです。生命を浄化して戴き、同時に折伏対象者を真剣に祈り唱題に励むことが大事です。このことを御法主日如上人猊下は、「折伏は相手が納得しなければ入信しませんが、相手を納得せしめるものは、私たちの人格であり、私たちの慈悲心であり、決意であります(中略)自分自身がしっかりと唱題を唱えていくなかに、おのずと信心と人格が磨かれ、慈悲の心をもって決然と折伏を行じていく勇気と智慧と行動力が生まれてくるのであります。」(大日蓮・令和五年八月号)と仰せられています。

 我々は、相手のことを「あの人はこうだから。あの人はああだから。」と、勝手に決めつける命があります。その命は間違いです。我々は、決めつけない命を持つことに努めるべきです。

我々は、折伏が成就できる前に諦める命があります。この命は間違いです。「折伏は折伏し続ければ折伏が叶う」ものです。御法主日如上人猊下は「折伏をしないから折伏ができない」と仰せられています。我々は、諦めない命と折伏が成就するまで弛まず努める命を持つことに努めるべきです。

相手を決めつけない命、折伏成就を諦めない命。そして弛まず折伏に努める命で励み続ければ、折伏は必ず叶い、相手は正法の教えの中に罪障消滅が叶い、そして真の幸せを得ることが叶います。

時に本日・十月十三日は大聖人様が御入滅あそばされた日であり、二十九日には、その意義の中で御会式法要が奉修される月です。大聖人様の御精神とは、『立正安国論』であり、『立正安国論』とは、正法を立てて国を安んずる。即ち、正法を弘め日本乃至全世界の人々が幸せになる、一天四海広宣流布の大願であり、そのために我ら弟子信徒は、折伏弘教に励行することが大事なのです。

以 上