『桜の花の見事さ』
映画「ラスト・サムライ」
明治初頭の日本を舞台に、時代から取り残された
侍達の生き様を描いたハリウッドの名作。
”時代設定は明治初期。渡辺謙演じる「勝元盛次」
という人物は、吉野の里の族長で、かつては
天皇のためにサムライの魂である刀を献上した
ことで知られる著名なサムライである。
時代の趨勢に武士達が抗しきれず、西洋化の波に
押され消えゆく中、新政府に雇われた主人公
(トム・クルーズ)は、滅びようとしていくサムライの
人々の精神と生き方に深く惹かれ、最後の地に
一輪の花を咲かせるべく、近代政府軍との戦いの地
に向かい潔く散っていく”
この映画の監督は、おそらく新渡戸稲造の「武士道」
を読んだのではないかと思いました。
新渡戸先生は、東京女子大学初代学長、国際連盟
事務次長など要職を歴任した、日本を代表する
国際人。
ある時ベルギーの法律の大家に、日本の学校における
宗教教育を尋ねられたとき、「ありません」と答えます。
驚いた大家は、「宗教がないのにどうやって教育するのか」
と再度、質問しました。
『日本にはそれに代わる武士道がある』と
先生は言い、その後「武士道」という本
を38歳のときに著します。
先生は「武士道」の中で、桜の花を武士道の象徴
としてとらえたのでしょう。
(映画の中では、桜の花がところどころに映し出されている)
新渡戸先生は、「武士道」を通して天に恥じない
生き方をしようと精神性を磨き、己を確立させしてきた
父祖達の生きざまを現代の人々に伝えようと
しました。
物質文明の脆さに危惧し、新しい価値観を模索し始めた
現代日本人が求めていることの一つに、このような
強い魂と精神力にあるのではと
思います。
映画の中で、「刀」の持つ象徴性は特別な
ものです。
「刀」は欧化の波によって否定され、「銃」に変わってゆきました。
刀は、天皇の王権を象徴する三種の神器のひとつ。
勝元が、天皇に「刀」を献上したという意味は深いものです。
『今さら三種の神器を銃にするのですか?
刀こそ日本建国以来の宝ではないですか?』
という勝元一流の諌言でした。
司馬遼太郎の小説「峠」の後記を
思い出します。
『人はどう行動すれば美しいか。ということを
考えるのが、江戸末期の武士道倫理であった。
人はどう思考し、行動すれば公益のためになるかと
いうことを考えるのが、江戸期の儒教であった。
明治以降、大正、昭和とカッコ悪い日本人が
自分のカッコ悪さに自己嫌悪を持つとき、
かつての日本人が『サムライ精神』というものを
生み出したことを考えて、かろうじて自信と誇りを
回復しようとしたのである』
本来日本人が培ってきた高潔な精神は、
生きとし生けるもの全てが共生し、自然と人間の調和
の上に成り立っていたはずです。
父祖の人々は、山の中にあるひそやかに咲く
一輪の花にも、生命があることを知る、深い思いやりの
気持ちを持っていました。
人が人間としてあるためには、「他者に対する
深い思いやり」と「自らの手で
すばらしき社会を創り上げていくのだという強い
意志」をもつことが大事。
武士道という、日本人の伝統ある過去の美しい生き方
に思いをめぐらせながら、 持続可能で潤いのある社会
を目指していく上で大事なことを、あらためて思います。
桜の花がもつ、力強さと美しさ、そして散り際
のみごとさ。
花の生命、美的感覚を武士道の真髄、そして
日本の道徳、宗教、精神の源泉としようとした
のでしょう。