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”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”

『山水を歴て玄珠を磨く』

2012.03.25 15:22

弘法大師・空海。
幼い頃から強く惹かれ続けてきた存在です。

幼稚園の頃、祖父が高野山へ町内旅行で行った際、
お土産に「お大師さま」の絵本を買ってきてくれました。
それ以来大事に持ち続けて、今も書棚にあります。


空海さんが開いた高野山を訪れることができたのは、
20代半ばに差し掛かった頃。

高野山は、日本では数少ない原生の自然が残されています。
紀伊半島紀ノ川の南方に位置し、蓮の花びらのような八葉の峰々

に囲まれた平原の聖地。


空海さんは、弘仁7年(816)に真言密教の根本道場とするため、

嵯峨天皇に高野山下賜の請願を上表されます。

これにより、嵯峨天皇から許可を賜り、七里四方の山林が弘法大師に与えられました。

高野山の真言密教の聖地としての歴史はここから始まります。


標高900Mの急峻な深山を登りつめた所に、広大な大霊場が広がっています。
集落を貫く道路を奥へ行くと、うっそうとした杉の大木の中に
ブナやナラが美しい緑の色を放っていました。 

寺院等を建立する目的以外には伐採が禁止されているため、

どの木もみな天をつくように太く育っており、300年はゆうに越えると

思われる杉が多く、夏の昼間に歩いても涼しく暗いもの。 


空海さんは、人と自然が一体となった境地を漢詩に詠みました。

『山林の中の草堂で早朝に独り瞑想に耽っていた時、
ふと気づけばどこかで鳥の声がする。私の心がそれをかすかに捉える。
仏と、その教えと、それを伝える僧、三つの名前を一つに込めて鳴いている。
鳥の声と、人の心と、空に浮かぶ雲と、谷川を流れる水と、

これらが一つに溶け合って、永遠の時の中を静かに流れ過ぎて行く』

(性霊集巻第9) 


日本語で、「もの」は、物質の「物」であると同時に、いのちある「者」

でもあります物質にはどれにも、かけがえのないいのちが宿されている

みるのが、古くからの日本人の常識。

きれいな空気や水、土という、人間が生きていく上で

欠かせない大切なものを無償で提供し、生命を育み循環を行っている生態系


これまで傷つけてばかりきた、この生態系を私たちはどれだけ回復させる

ことができるでしょうか?

次代を継いでいく子供たちに対して、安全で安心な社会を残すことは、

私たち大人の責務です。


私は1998年に、屋久島の森で”いのちの再生”を体験しました。
この時、生き物たちの相互のつながり、命の生かし合いに気づかされました。

自己の霊性が大きく目覚め、他の生き物たちの生命への畏敬の念

深めるようになった時です。

自然界の中で、人間を含むすべての生物がすみわけによって共生できる

社会的秩序の確立を考える時、空海という偉大な先人の思想と実践が大きな示唆を

与えてくれます。

『山水を歴て玄珠を磨く』という空海さんの言葉。

私はこの言葉がとても好きで、いつも大切に心の中に持っています。 


『人間には誰しも我心がある。 
その我心だけに走るととんでもないことになる。 
他者を顧みない自分中心の心狭いものになってしまう。 

我心を掘り下げてみることが必要である。 
そうすると己自身に行き着く。この自身が玄珠である。 
ここまで掘り下げると、つながりの中に生きていることがわかる。 

そして己のことを知った時に初めて、他の人を理解することができる。 
なぜならそれはつながっているからである。 
他の文化への尊敬の念も生まれる。 
ここに初めて共存対話が可能になる。 

そのためには山や森に入ることがいい。 
そこであらゆる音を聞く。 
自然界・森というところは、あらゆる真実の声の箱である。 

心を透明にして、耳を澄ましてみる。 
鳥の声、風の音、虫の声、水の流れる音、 
そのなかに、そんな近くに、すべてのものがある』