音楽との会話 トニー・モナコ インタビュー1
(翻訳:Noriko Honda)
2018年9月のある日、早朝5時。時差13時間のオハイオと岡山を繋いで行ったインタビューはなんとしょっぱなから、遅刻…。理由は寝坊…。 そんなバッドコンディション(自分のせい!)も一気に吹っ飛んだトニーさんとのお話。少しずつおすそ分けです。気長にお楽しみくださいね。
ある日、音楽がドアをノックした
ー でははじめたいと思います。
トニー・モナコ(以下、ト) OK!
ー では最初にトニーさんと音楽との出会いを教えてください。
ト 8歳の時、誰かがドアをノックしたんだ。開けると男の人が立っていた。彼はアコーディオンを持っていたんだ。
ー とってもミステリアスですね!(笑)
ト 彼はアコーディオンのレッスンを売り歩くセールスマンだったんだ。アコーディオンを買ってもらって演奏を始めた。それが音楽との出会いだね。
ー おもしろい!向こうから訪ねてくるなんて、運命的です!音楽がトニーさんを見つけたみたいですね。
ト ああ、そうだね。そして12歳の時にジミー・スミスのアルバムをある人にもらったんだ。
ー 初めて聴いた時、何を感じましたか?
ト 私の家族はイタリア系だったから、それまでジャズ自体、聞いたことはなかった。だから初めて聴いた時は信じられないくらい素晴らしい音楽だと思ったよ。家で聴いた瞬間に「これは自分のやるべき音楽だ!」ってハッキリとわかった。それ以来その気持ちは変わらない。すごくはっきりと分かった。
ー 次はオルガンジャズがあなたを見つけたのですね。
ト そんな感じだね。
ー 素晴らしいお話です。
ト 私の父親が結婚式のバンドでドラマーをやってたんだ。そのバンドはアコーディオンプレイヤーとベースプレイヤーがいたんだけど、そのアコーディオンをやってた人がもっと稼ぎたくなってオルガンを購入したんだ。オルガンだったらベースプレイヤーを雇わなくていいから。
ー それからオルガンを弾くようになったんですね。ではトニーさんにとって音楽とはどんなものですか?
ト 私自身だね。かれこれ52年やってる。
ー 一度も辞めようと思ったことはないですか?
ト 一度も無い。音楽こそが人生、つまり私のすべてだから。
ー 日本語のバイオグラフィーを読むと病気のこと【*1】が書いてあり、その病気のせいで一線を退いてしまったと書いているんですが、そのことについて聴かせて下さい。
ト 音楽を辞めたわけではなくて、肩が痛かったからアコーディオンを辞めてオルガンに転向したってだけだよ。たくさん家族がいたからたくさん働いてただけなんだ。レストランを10年間経営してたし、広告マン、TV局のプロデューサー、建設関係の仕事もしてた。最初の家族では3人の娘がいて、孫娘は5人いたから、お金が必要だったんだよ!(笑)だから仕事を優先させる時期はあったけど、音楽を辞めたことは1度もない。
ー ジーンさんから今回のトリオの結成は3.11の震災がきっかけだったと聴いていますが、いかがですか?
ト そうだね。日本にはパット・マルティーノのバンドで何度も来ていたんだけど、若い頃から日本でヘッドライナーをすることが夢だったんだ。ジミー・スミスさん 【*2】 が日本でたくさんの録音を残してるからね。
震災後、友人がたくさんいた東京のコットンクラブに純粋に「大丈夫かい?」ってお見舞いのメールを送ったんだ。返事がすぐに来て、東京は大丈夫なんだけど、多くのミュージシャンが放射能を恐れて軒並み公演をキャンセルしてて、助けて欲しいって。
それで図らずも若い頃からの夢が叶ってしまったんだ。純粋にお見舞いのメールをしただけで自分から売り込んだわけじゃないのにね。
ー 次は日本のオーディエンスがあなたを見つけたんですね。
ト 人生って不思議だよね。日本が大好きだよ。
コピーするのではなく、音楽そのものになる
ー 震災後に日本に来るのは怖くなかったですか?ジーンさんはあなたが全くためらわずに日本に来てくれたと言ってました。
ト 東京の友人が大丈夫だって言ってるんだったら、怖がることは何もないよね?(笑)
ー すごくシンプルですね。
ト それが一番さ。
ー 本当ですね。では最初にトリオのメンバーに会ったときの印象は?
ト ヨウスケサン【*2】とはハモンドスズキの仕事でモーションブルー横浜で一緒にプレイしたことがあったんだ。ジーンさんとはこの時が初めてだった。ふたりとも素晴らしい音楽家だね。最初から非常に自然だった。
ー 演奏してみていかがでした?
ト 最初からずっとグループでやってたような感覚だったな。すごく自然だったよ。最初からすごく良い感じだった。
ー このトリオの特色は何ですか?
ト 幸運なことに、世界中で色んな人達とトリオを組んでいるんだけど、今回のトリオはとりわけ日本と繋がりがあって、日本に対する愛がとても深い。私たちがやっているのは真実のオルガンジャズで、これは愛なんだよ。
ー 真実のオルガンジャズとはどういうことですか?
ト さっきから話に出てきてるジミー・スミスさんが、はじめてジャズでハモンドオルガンを使うスタイルを作り上げたんだ。まさしく伝統を作り上げた人だね。
ジミー・スミスさん【*3】もジーンさんもフィラデルフィア出身だから、そういう意味でもジーンはオルガンジャズをすごくよく理解できるんだと思う。
ようすけさんはジミー・スミスと共演しているギタリストのアルバムをすべて聴いていて、彼もオルガンジャズの言葉をすごく理解していると思う。
彼はウェス・モンゴメリーにケニー・バレル、グラント・グリーンやなんかを非常に深く愛しているんだ。
このトリオはかつてあった音楽の修正版ではなくて、いまも生きる伝統的な「真実のオルガンジャズ」をオリジナルで演奏できるバンドということだね。
ー ジーンさんはトニーさんのことを “伝統に繋がりながらもさらに高い次元、新しい次元に昇華させるプレイヤー”と言ってました。いかがですか?
ト 確かにそうだと思う。私たちはオルガンジャズを常に新しい次のレベルに持っていこうとしている。文化であれ、言語であれ、長く続いていくなかで、より深く新しく進化していくのと同じだと思う。伝統を取り上げながらも、それを前へ前へと運びながら進んでいるんだ。だから私たちがやっているのはただのコピーとは違う。それ自体を生きて、それ自体であろうとしている。だから時代が移り変わっても、いつもそこにともにあるリアルな姿なんだ。コピーじゃなく、音楽そのものになろうとしているんだ。
(つづく)
【*1】トニーさんは15才から神経痛性筋萎縮症を発症。
【*2】、【*3】ちょっとどうでも良いかもしれないけどトニーさんはよく色んな人にさん付けを使っていた。こんな所にも人柄が出ているような気がする。