『社会を進化させる知の集合』
ニューヨーク・タイムズのカバー・ストーリーに、
『A Tale of Two Valleys』と題された、シリコンバレーの世代間ギャップに関する記事が以前出ていました。
それによると、シリコンバレーでは若いエンジニア
とベテランのエンジニアの間で、コミュニケーション
の断絶が起きていて、
若いエンジニアは創業まもないスタートアップを
目指す場合が多く、ベテランのエンジニアは
古くからあるシリコンバレーの大企業に勤め、
この二つのグループは余り交流が無いそう。
開始するにあたってインフラストラクチャをどうするか?
という面にほとんど気を配らず、ただもっと新しいウェブ・
アプリを考え出すことばかりに腐心しているといいます。
つまり、それらのスタートアップは技術主導型ではなく、
アイデア主導型になっているということ。
シリコンバレーのウェブ業界では、「もっと、もっと」と
いうエスカレートが生まれ、「もし、もっと楽しい、
もっと凄いものが出来なかったら、どうしよう」という
不安が内在しているそうです。
それは若いエンジニアを単線的に仕事ばかりに向かわせる
もので、FBの社員の平均年齢は26歳、HPは39歳という、
遊び盛りの若いエンジニアは、デートもせずにコード
ばかり書いているという状況。
さてここからは、ITを巡っての世代間に生じているギャップ
について最近感じていることです。
日常の中で欠かせないツールとなったIT。しかしこのツールの急激な発展は、同時に現代に生きる
私たちに対して、世代間のギャップを生じさせました。
子どもの頃の記憶の中にITツールが見当たらない親世代
の大人たちは、自分の歩んできた歴史の中でITを
“後発の文化”として受け入れてきた世代。
「世界中の同世代は、価値観がそんなに違わなく
すごく離れていっているのです。
特に、情報社会後の世代と、情報社会前から活躍している世代で大きく価値観が違ってしまっている」
そう話す、猪子寿之さん(チームラボ創業者)の
言葉に同感。以下、その内容です。
「当たり前ですが、日本の人は、日本のテレビ局の
テレビを見て、日本の新聞社のニュースを読んで
いました。
国が違えばメディアも違うので、国ごとに接している
情報はまったく違うものでした。
なので、国民的歌姫みたいな言葉があったくらい
です。日本の人は全員超好きだけど、海外では
まったく知られていないということが普通でした。
つまり、国ごとに接しているメディアが違うので、
国が違えば価値観が大きく異なっていたのです。
文化的外交を目的とした会議に呼ばれて参加すると、
年配のエライ人たちは、こぞって、文化の相互理解
が最も重要だと言います。
20世紀は、国ごとに文化的価値観がまったく違う
ということが大きな課題だったのだと、なんとなく
想像できます。」
50代以上のみなさんは、社会に出てしばらく経ってから
IT機器が登場したため、できるだけ使わずに仕事を
した人と積極的に使ってきた人との間で、感覚にも
かなりバラツキがある世代でしょう。
40代は、社会人になったのとほぼ同時くらいにパソコン
を使い始め、ビジネスのキャリアとIT機器ユーザーと
してのキャリアを一緒に育んできた世代。
30代は、大学時代に多少使った経験もあるものの、
「ビジネスユース」として整った環境で使い始めた世代。
そのため、30代以上の大人たちは比較的きちんと
お行儀良く使うことができ、機密情報をブログに書いて
しまうような感覚は「信じられない」「理解不能」
だったりします。
現代の若者は、ソーシャルメディアに接している時間
が相当に長いのが特徴。スマホ依存などというかつては聞かれなかった言葉にそれが現れています。
電源をオンにし、クリックするだけで全世界につながるネットの世界。
今の子どもたちにとって、パソコンやケータイから
ネットを利用することは、テレビで番組を楽しむ
ことや電話で友だちと会話することと、全く変わりません。
「親世代の私だって“ごく普通の道具”として日々
使っていますよ」
そうおっしゃる方は多いと思いますが、IT文化の存在が当たり前という環境の中で生まれ育った
子どもたちと親世代の感覚の差は、実はかけ離れています。
それは、アメリカで生まれ育った日本人の子どもと、
日本に生まれ育ち、社会に出てから仕事で使う
ために大変な努力をして学んだ大人との、英語での
コミュニケーション能力(あるいは生活能力)の差
みたいなものとでも言えるでしょう。
LINEで日常のたわいのないやりとりを
コミュニケーションし、FBで友達の出来事と、
友達から共有されたYOUTUBEの動画を見て過ごす
のが普通の彼ら。そこには国境はありません。
世界中共通のプラットフォームで、自分が選んだ
人間関係経由の情報に接しています。
世界中の人々が同じメディアで、同じ方法で
情報に接しているのです。
さらに、非言語なコンテンツになった瞬間、
世界中が同じメディアで同じコンテンツを
見ています。
その結果、情報社会後の世代と、情報社会前から
活躍している世代で大きく価値観が違ってしまって
いるようです。20世紀で言う、外国の人のように。
ネットの広汎な普及・ブロードバンド化・ケータイ
からスマホに至る社会の出現など、コミュニケー
ション基盤の劇的な変化により、従来の尺度では
測れない価値基準・意識基盤をもった世代。
人間は確実に年を重ねる中で、この若い世代が
まもなく社会の推進力となる時代が到来します。
「所有から共有へ」、個人の脳の中にあるノウハウを
コンピュータに移して、個人をはるかにしのぐ知識を
もつ応答ネットワークを共同で構築し、個人はその
情報基盤を活用することが、互いの利益になるという
時代。
質・量ともにこれまでと比較にならない情報が
飛び交う時代、社会は大きな変革期を迎えている
のだと実感します。