『直きことの大切さ』
ニューヨークとワシントンを襲った同時多発
テロ事件から13年。
今、世界には「対テロ戦争」という名の混沌
が漂っています。
各地で繰り広げられる激しい戦闘を見ていて
気づくのは、国境を越えていともたやすく
武器が拡散している事実。
「イスラム国」など反政府武装勢力のグループが、
高度な武器を用いて急速に支配地域を広げています。
それを可能にしたのは、米英仏ロ、サウジアラビア、
カタール、イラン、そして中国などの武器輸出。
古賀茂明さんによれば、自衛のため、人道のため
と言うのは表向き。本音は自国の利権の維持拡大。
そこでは、自国の敵の敵は味方、味方の敵は敵と
いう短絡的・短期的な視点で武器が供与されています。
「例えば湾岸の親米国であるカタール。
民主国家ではないが、米国石油メジャーの利権
を守ってくれるから米国にとっては大切な味方だ。
そこで米国はカタールに武器を供与する。
スンニ派のカタールにとってシーア派は敵だ。
シリアのアサド政権はシーア派。カタールの敵である。
それと戦うスンニ派の反政府勢力は、アサドの敵
だからカタールの味方だ。
そこで、カタールは、彼らにこっそりと武器を供与した。
ところが、その武器が、アルカイーダの流れを汲む
スンニ派武装勢力ISIS(最近「イスラム国」と改称)に
流出した。
この武器を使って、「イスラム国」が、今、イラクで
猛威を振るい、シーア派のマリキ政権を慌てさせている。
イラクのマリキ政権は米国が作った政権だ。
米国は武器も軍事訓練も供与してきた。
米国のカタールへの武器供与は廻り廻って米国の
首を絞めている。
このように、今や、「正義とは何か」がわからなく
なっている。
だから、どの国も、地域紛争に軍事介入すること
に極めて慎重だ。」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40110
米国が自由、人権、民主主義といった理念を
世界規模で普及させてきたことは確かです。
「スマートパワー」という、価値観や文化の波及
による影響力を拡げようとしてきたオバマ外交
が目指してきたのは、反対する者を押し切り、
力ずくででも物事を推し進めるリーダーシップ
ではなく、共有できる目標を掲げることで
仲間を集め、そのなかでイニシアチブを発揮する
リーダーシップ。
米国の財政状況や厭戦ムードを考えれば、
対テロ戦争初期のような派手な軍事作戦の
再来は、ほとんど想像できません。
そのなかで影響力を保持しつつ対テロ戦争を遂行
するとなれば、米国はこれまで以上にスマートパワー
を重視せざるを得ません。
つまり、米国は「警官の制服を着た宣教師」から
「宣教師の法衣をまとった警官」にシフトチェンジ
する局面にさしかかっていると言えるでしょう。
ただし、それによって米国の一方的な軍事行動が
鳴りをひそめるとしても、それが世界の安定に
繋がるかは疑問です。
理念を掲げて、その正当性を強調し、仲間を集め、
集団的な圧力でコトにあたる手法は、倫理的、
規範的な色彩が強くなるだけに、「他者」に対して
不寛容になりがち。
以前、サッカー日本代表の長谷部誠さんが
自著「心を整える」で、論語の『直にして礼なければ
則ち絞す』(率直なだけで礼を知らないと図々しく
辛らつになるだけだ)を紹介していました。
人権や民主主義の理念の普及は、米国的価値の
強要や文化摩擦と紙一重。
かえって反米感情を噴出させる合法的な道を開く
契機になり得ることは、トルコ、ブラジル、ナイジェリア
などの例でもみられます。
これに格差やイスラーム過激派の思想や資金が
結びつけば、テロリズムに転じることは容易です。
谷沢永一さんが生前に言われていた言葉を
思い出します。
『論語で「正しきことその中にあり」とはいっていない
ことが重大なのです。
百人の人間が「正しきこと」を言い出したら、
百五十通りの正しい理論が誕生するでしょう。
何が正しいかを言い出したら、きりがないのです。
また、「何が正しいか」という判断に照らして、
他の人間をずばずばと切っていくことができるから
、「正しいか」「正しくないか」という議論は、
猛烈な攻撃衝動を引き起こします。
「正しいこと」というのは、いわば闘争の論理なの
です。」
米国がいわばソフト路線に転じることは避けられない
ものの、それは一歩間違えればハード路線より根深い
対立を加速させる危険性すらあり得ます。
その意味で、超大国米国が差し掛かりつつある
曲がり角は、世界の対立と混沌がエスカレートするか
どうかの分岐点でもあると言えるでしょう。
「孔子は、あえて『正しきこと』とは言いたてず、
「直きこと」という言い方を選びました。
ここに孔子の智恵がこもっているのです。」
谷沢さんのこの言葉に、その知恵の大切さを
思います。
国家という大きな単位において大切にしていきたいこと
ですが、これは個人の仕事においても子育てにおいて
も言えること。
理想や理念を追いすぎてしまうあまり、職場や家族
と衝突することがありますが、大切なことは、
相手が生きている人間であるということ。
その基本の理解が大事な一歩となります。