『一期一会一球』
”勝った箕島が泣き、負けた星稜が笑っていた”
今年で誕生から100年の高校野球。
春・夏通して5000を超える熱戦で、全国の
球児が死力を尽くし、ふるさとを沸かせてきました。
その歴史の中で「最高の試合」と呼ばれる一戦。
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それは1979年8月16日、甲子園大会3回戦・
「星稜(石川)-箕島(和歌山)」戦。
延長18回、試合時間は3時間50分の熱戦で、
劇的な試合展開に、「高校野球史上最高の試合」と
されています。
箕島は有田市にある和歌山県立校。
1979年の箕島は突出した選手はいなかったもの
の「負けない」チームになっていました。
春のセンバツ準決勝では「逆転のPL」こと前年夏の
覇者PL学園に逆転サヨナラ勝ち。決勝では浪商
(現・大体大浪商)と壮絶な打撃戦を繰り広げ、
8-7で振り切り3度目の春制覇。
しかし夏の優勝はまだなく、「春には強いが夏に弱い
箕島」というレッテルを貼られ、初の夏制覇、そして
公立校として初の春夏連覇を目指して夏の甲子園
にやって来ました。
1979年8月16日の「星稜-箕島」戦。
”1-1のまま延長に入った12回。
星稜は1死後、音のレフト前ヒットと山下が四球で
歩き一、二塁とした後、石黒の打球は平凡なセカンド
ゴロ。
これを箕島のセカンド・上野山が痛恨のトンネル。
この間に二塁ランナーの音が一気に生還し勝ち越した。
命拾いした森川は堅田の真ん中高めのストレートを
レフトラッキーゾーンに放り込みまたしてもホームラン
で同点に追いついた。
そして18回、星稜は満塁のチャンスを潰すとその裏
箕島は2つの四球で1死一、二塁とし、上野のショート
の頭上を越すタイムリーで辻内が生還。
ついに3時間50分に及ぶ熱戦に幕が降ろされたのである。
当時14歳だった私はテレビの前に釘付け。
「どっちも負けて欲しくない」
この試合の球審を務めた永野さんが抱いた感情は、
3万4千人の観衆、テレビ・ラジオの視聴者に共通
する思いでした。
延長18回に及んだこの激闘は、今も高校野球ファン
の胸を強く打ちます。
箕島高校の監督を勇退後、がんと戦い続けた
尾藤公さんは、2011年に他界されました。
選手の自主性にまかせることが多かった尾藤采配。
「ピッチャーのことは何にもわからない」「監督が頼り
ないから皆、自分たちでいろいろなことをやってます
よ」が口癖でした。
とことん選手を信じ切るには胆力がいるものですが、
その部分で尾藤さんは他のどの監督よりも優れていました。