『龍馬と妙見信仰』
「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人
がやったことさ」と、勝海舟はいった。
坂本龍馬(竜馬)は、幕末維新史上の奇蹟といわれ
ます。
青年時代、龍馬は故郷土佐で剣術修行後、19歳で
江戸に出て、北辰一刀流の開祖である千葉周作の
弟、千葉定吉の道場でさらに剣術を学んだとされて
います。
千葉道場から与えられたとされた、なぎなた免状
「北辰一刀流長刀兵法目録」が、龍馬研究家の鑑定
により本物の“お墨付き”を得たそうです。
これは、龍馬の資料に詳しい宮川禎一(京都国立
博物館・列品管理室長)が調べたもので、同じく千葉
一門の門弟だった清河八郎の「北辰一刀流兵法免許
」と北斗七星の図が酷似することなどから、本物と
判断したといいます。
平安時代末期、千葉氏の惣領であった「千葉介」は、
下総国(千葉県北部から茨城県の一部)の在庁(
国府に出仕する地方官僚)としての「介」を称した
千葉庄を本拠とする地方豪族。
平家に敗れた源頼朝を同族の上総権介広常と共に、
挙兵から一貫して協力したことで、頼朝の信頼を
得ます。
鎌倉幕府の成立後は、その功から東北から鹿児島
に至るまで、全国各地に領地を与えられました。
千葉一族は、北極星・北斗七星を神格化した(もとは
「尊星王)という大陸から伝えられた神様)「妙見神」
を信仰し、移り住んだ全国各地の領地に祀ります。
紀元前数千年前、元々は現在のイラクやイランに
栄えた古代アッシリアやバビロニアの砂漠の遊牧民
が方角を確認するために北極星を神として信仰し、
遊牧民を経て、中国に伝わりました。
中国で北辰信仰は、紀元前二千数百年前の堯・舜
時代に記録されています。
北極星は、道教においては、天帝太一神の居所で
あり、北辰を北極大帝、北極紫微大帝、玄武大帝
、北極玄天上帝などと称されました。
最高神玉皇大帝の命をうけて星や自然界を司どり
、天人冥の三界を総宰する神格。