『斗瑩と北星とのご縁』
2016.03.02 13:43
宮城県大崎市へ日帰り出張。
ひと通り仕事を終えた後、帰りの新幹線まで
少し時間があり、足を伸ばして「斗瑩稲荷神社」
を初参拝。
幕末の剣聖千葉周作、所縁の社を訪ねると
大きな喜びがありました。
奥州は陸前粟原郡荒谷村(今の宮城県粟原市)
の馬医者の次男に生まれた周作。
千葉家の守り神である北斗七星に、
「天下の剣壇の総帥にならん」と誓いを立てます。
剣客にふさわしからぬ含羞と繊細さをもった周作
少年は、中西派一刀流の竹刀剣術を学ぶため
江戸に出ますが、晦渋な秘儀に堕した兵法に
反逆します。
周作の志は、剣を磨くだけではなく、一流を興す
ことでした。己の流儀を興すには、他流と優劣を
競い打ち負かした上で、他流よりも優れている
という世評を確立しなければなりません。
そして、独自の剣の道を究めるべく、廻国修行
に旅立ちます。
周作は長い修行の末、「北辰一刀流」をあみだし
、「剣は理である」という徹底した信念により、
最終的には門人5千人を超える幕末三大道場
のひとつ玄武館へと成長させます。
幕末三大道場とは、“神道無念流”斎藤弥九郎の
練兵館、“鏡新明智流 ”桃井春蔵の士学館、それ
に玄武館。
「力の斎藤、位の桃井、技の千葉」と称され、
三道場でほぼ江戸の剣客を三分し、幕末に
剣術以外の思想の面でも志士たちに大きな
影響力を及ぼしたといいます。
「北辰」という字は北極星、北斗七星を意味
するもの。
そして、光り輝くの意をもつ「斗瑩」は「妙見」に
由来しているとのこと。
即ち、日頃から崇敬している「北星神社」と、
遠く離れた「斗瑩稲荷神社」とが、古来からの
「妙見信仰」で繋がっていたという発見。
ちなみに幕末維新の英雄、坂本龍馬は
周作の弟より北辰一刀流の指導を受け、
「妙見信仰」を持っていたそうです。