『初心忘るべからず』
「初心忘るべからず」
世阿弥は、人生の中にいくつもの初心があると
言い、若い時の初心、人生の時々の初心、
そして老後の初心を挙げました。
いずれも大切な初心。
"この頃の花こそ初心と申す頃なるを、極めたるやうに
主の思ひて、はや申楽(さるがく)にそばみたる
輪説(りんぜつ)をし、至りたる風体をする事、
あさましき事なり。
たとひ、人も褒め、名人などに勝つとも、これは一旦
めづらしき花なりと思ひ悟りて、いよいよ物まねをも
直にし定め、名を得たらん人に事を細かに問ひて、
稽古をいや増しにすべし。"
(『風姿花伝』第一 年来稽古条々)
11年務めた企業での環境CSRの仕事から独立
する際に抱いた気持ち。
四年前のブログ記事、『見えないものを観る力』
(2012年4月3日)を読み返して、あらためて
心を奮い起こしました。
”先進国主導で物質的豊かさを優先してきた
結果、社会には貧富の格差は大きく拡がり、
地球環境の許容量をはるかに超える負荷の
押し付けで、多岐多彩にわたる国際社会の
諸現象を派生させてきました。
東洋哲学には「見えないものを観る」という訓え
があります。かつて私は、安岡正篤先生の書物
からそれを学ばせていただきました。
とかく物事ははっきり変化して、初めてその異常
に気がつくものですが、指導的な立場にある者
は、変化の兆を早く見つけ、事前に必要な手を
打たなければいけないという訓え。
日本を含めて世界各国でこれからの社会を持続
性と調和のとれたものへと変革していくためには、
西欧の合理性でなく、東洋の持つ合理をも身に
つけることが必要であると思います。
東洋のそれには、知識を包み込み、論理を超えた
統合的な、人間の深い知恵があります。
東洋と西洋の両文明という異文化を理解する
寛容の精神を持つことで、「見えないものを観る」
ことができます。
私はこれからの未来を担う子供たちに、そうした
教育ができるよう取り組んでいきたい。”
まさしく「サス学」の更なる推進に動きます。