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”人と自然を調和しながら『持続可能な未来』を共創する”

『心と天地はもともとひとつ』

2016.03.19 13:22

「心に分別して思い言い顕す言語なれば、
心の外には分別も無分別もなし。

心と天地はもともとひとつのものじゃ。
心が正しく動けば天地も動く」
(「等伯」(上)阿部龍太郎) 

牧谿法常
が描いた「観音猿鶴図」


この「観音猿鶴図」から大きな影響を受けたのが、
長谷川等伯

等伯は、桃山画壇の覇者狩野永徳を脅かすほど
絵師としての成功を治め、自ら「雪舟五代」
名乗り、長谷川派の長として活躍した画家。

30代で能登から上洛後、戦乱の渦中に巻き込まれ
、様々な人々との縁からその画力が次第に認められ
、永徳らの妨害を受けつつも、狩野派が手がける
聚楽第の襖絵に参加。大徳寺山門の絵を手がけ、
日増しに名声を確かなものにし、長谷川派を形成。

しかし、良き理解者であった千利休が自刃、等伯の
片腕となって制作にあたった息子・久蔵が26歳の
若さで亡くなります。

「志が高い者ほど、遠い苦難の道を歩き続けることが

できる。その先に何が待っているかはわからないが、
歩き続けることこそ人にできる唯一のことなのだ……

絵のために苦しむことができる我が身を悦べばよい。
死んだ者も何もかも引き受けて、捨身の筆をふるえば
いいのである。」

(「等伯」(下)阿部龍太郎)